トントントン。
また木戸が叩かれた。お多恵はびくっとして後ずさった。
「おたえちゃん、おたえちゃん」
お多恵ははっとした。この声は。
「おたえちゃん、開けておくれ」
「芳太郎さん、芳太郎さんね?」
「そうだよ、おたえちゃん。おいらだよ、開けておくれ」
お多恵は木戸に手をかけた。だが、そのとき再びあの声が聞こえてきた。
―――俺が戻ってくるまで誰が来ても決してこの木戸を開けるんじやないよ―――
さっきも怪しい人たちが来た。この人はほんとうに芳太郎さんなのだろうか?
「芳太郎さん、ほんとうに芳太郎さんなの?」
お多恵は震える声で言った。
「当たり前だよ、おたえちゃん。明日おめえと祝言を挙げるよしたろうだよ」
それは確かに芳太郎の声だ。生まれた時から一緒に遊んだ親しい声。
「こんな夜中にどうしたの、芳太郎さん」
「明日のことを考えるとどうにも眠れなくてなあ。おめえの顔を一目みたいと思ってやってきたんだよ」
照れくさそうな芳太郎の声に、お多恵の胸が温かくなる。
「ああ、あたしもそうなの、芳太郎さん。あたしも眠れなくて起きてきたのよ」
「おたえちゃん、かわいいおめえの顔を一目見れたら俺はぐっすり眠れて明日の祝言も大丈夫になるだろう、お願いだよ、木戸をあけておくれ」
「芳太郎さん、あたしだってあんたの顔を見たい、でも」
誰が来ても 決して この木戸を あけてはいけないよ
どうして恋しい芳太郎よりあの声が大事だと思うのだろう? でも。
「ごめんなさい、芳太郎さん。この木戸は開けられないの」
「どうしてだい、おたえちゃん」
「だって、約束したんだもの」
「誰と約束したんだい、おたえちゃん」
「誰とって」お多恵は頭を押さえた。「誰………だったかしら」
あの優しい声の持ち主は。
「誰? 誰だったかしら」
迷っているお多恵に恋しい男の声が囁く。
「おたえちゃん、開けておくれよ、ほんの少し、ほんの爪の先ほどでいいから」
「爪の先ほど? それだけでいいの?」
「そうさ、それだけでいい。開けておくれ、ほんのすこぉし」
爪の先ほどなら。
そのくらいなら大丈夫だろう。しんばり棒をほんの少し動かして隙間を作るだけ。木戸は開けない、開けないから。
「待っててね、芳太郎さん」
お多恵は木戸を封じているしんばり棒に触れた。しんばり棒は湿っていた。両手でもってほんの少しだけ動かしてみる。
その途端、ガタンと大きな音がして、木戸が全部開かれてしまった。
「おたええええ」
外から入ってきたのは芳太郎ではなかった。黒く大きな獣だった。ぎらぎらする歯をもち、真っ赤な目をした、ごわごわの毛の生えた、恐ろしい恐ろしい獣だった。
「きやあああ!」
お多恵は悲鳴を上げ逃げ出した。台所を飛び出し、廊下を駆けて、父親や母親の寝ている部屋に飛び込んだ。
「おとっつあん! おっかさん!」
障子を開けて寝ている二人に叫んだお多恵は再び悲鳴を上げた。両親は布団の上で仰向けになったまま、血まみれでこと切れていたのだ。
「ああっ、おっかさん! おとっつあん!」
お多恵は母親にすがりついた。そこへ黒い獣が飛び込んできた。
「さあ、こんどはおまえのばんだ。切り裂いてやろう、引き裂いてやろう!」
「助けて!」
お多恵は叫んだ。ああ、だから木戸を開けるなと言われていたのに。
決して 木戸を あけてはいけないよ
あの優しい声。
むかしはね
あれは誰だったのか。
いまはただの
ああ、あの方は。
竜導って言うんだ お多恵さん 竜導往壓だ
「りゅうどう、ゆきあつさま!」
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