お多恵は暗い台所でしゃがみこんでいた。時折風が木戸をがたがた震わせる以外には音もしない。お多恵は自分の白いつま先を見つめていた。
(明日、あたしは芳太郎さんのお嫁さんになる)
そう思うと自然と唇に笑みが浮かぶ。
芳太郎とは子供の頃から遊んだおさななじみ、いつから惹かれあったのかわからない。ままごと遊びで芳太郎のお嫁さんになった時からだろうか。父親ともに仲が良く、一緒になりたいと言ったときには二人とも前から約束していたように喜んだ。
誰も彼もが望んだ幸せな祝言だ。きっとあたしも幸せになれるのだ。芳太郎さんと暖かな家庭を作ってかわいい子供を持って、うちのようににぎやかで楽しい生活になるのだろう。
(ああ、その大事な祝言の日にお酒がないだなんて!)
りゅうどうさまは本当にお酒を持ってきてくださるのだろうか? 明日の祝言に間に合うのだろうか?
どんどん! と木戸が叩かれた。物思いにふけっているうちにうとうとしたらしい、お多恵ははっと頭を上げた。
どんどん! どんどん! と木戸は鳴り続けている。
「りゅうどうさまですか?」
「おたえ、おたえ」
木戸の向こうで呼ぶ声がした。
「おたえ、おたえ」
別な声もした。木戸の向こうには何人かいるらしい、ざわざわと話す声がした。
「どなたですか?」
「ここを開けておくれ、わしらは明日のお前の祝言のために、遠くから駆けつけてきた親戚のものだ」
親戚のもの、といわれてお多恵は慌てて木戸に手をかけた。しかし、不意に竜導往壓の言葉が頭をよぎった。
―――俺が戻ってくるまで誰が来ても決してこの木戸を開けるんじゃないよ―――
お多恵は手をひっこめた。
「どうした、おたえ。ここをあけておくれ」
声が急かす。
「あの、あなたがたはどちらの親戚の方ですか?」
「わしはほれ、西の方の」
しわがれた声がそう応えた。
「西の、どちらですか?」
「東の方の」
甲高い声がそう応えた。
「東の、どちらですか?」
「西の、東の、北の、南の」
木戸の向こうで声がいっせいにわめきだした。
「西の西の西の東の東の東の北の北のきたのみなみのみーなーみのーみぃいいいなああああみぃいいいいぃいいいのおおおおおおおおお」
押しつぶされるほどの大音響に、お多恵は耳をふさいでしゃがみこんだ。
「嘘よ! あんたたちは親戚じゃないわ! あっちへ行って!」
悲鳴を上げたとたん、木戸の向こうで騒ぐ声はなくなった。
お多恵ははあはあと肩で息をして、木戸を見つめた。
(なんなの? なにがきたの?)
奇妙なのはこれだけ大きな音がしたというのに奥から誰もでてこないことだ。父親も母親も気づかなかったのだろうか? ぐっすり眠っているのだろうか?
「―――おとっつあん………」
お多恵は父親を呼びに行こうかと立ち上がった。
そのとき。
トントントン。