桜も散り、気の早い江戸っ子はもう単を着始めている陽気だが、この日は雲が厚く、昼間だというのに薄暗い。湿り気をおびた風が重く足元にわだかまった。
五人ででかけた先は神楽坂にある武家屋敷だった。白い壁が延々と続き、黒塗りの門がいかめしく来客者を見下ろしている。
「ここは?」
「摂津藩が買い上げた屋敷だ。江戸詰めの藩士の屋敷用にな」
江戸にすまいする武士の半数以上は参勤交代によって江戸詰めとなる地方の武士たちである。彼らは江戸に金を落とす貴重な財力であり、また地方の文化の運び手でもあった。
大名と一緒にやってくる藩士の数は多く、たいていは江戸屋敷と呼ばれる藩が用意した、上・中・下屋敷に住まいする。だが中には経費節約のため長屋を借りたり、空き家を買い取ったりすることもある。
「ここは以前、内藤というご祐筆役の住まいだったのだが、当主が病で死去してな。長い間空き家だったのだ」
小笠原が先に立ち、四人を案内して広い屋敷を進む。廊下から見える庭は緑のものが少なく、無造作に大石小石が置いてある。殺風景な印象だった。
「その内藤さんにお身内は?」
「子供が一人いたのだが、幼いうちに亡くなったらしい。内藤殿が亡くなられたのもそれからまもなくだったようだ」
「子供が死んで気落ちされたのでしょうか?」
宰蔵がいたましげな顔をする。
「さあ、わたしはよく知らぬのだ」
「で? 俺たちの仕事は?」
湿っぽい雰囲気を嫌って往壓が声をあげる。小笠原はうなずいた。
「この屋敷に妖夷が出るというのだ」
摂津藩ではここを下屋敷にするつもりだったのだが、ここに住まいしたものがみな夜寝られないと訴えるのだという。
「泣き声が聞こえる」
「誰かがばたばたと走り回る音がする」
「何かがどんどん壁を叩く」
「頭痛がする」
「幻覚を見る」
「幻聴を聞く」
そういう訴えが多く出る。
「化け物屋敷だ」
誰ともなくそう言い出して、この屋敷から辞去するものが多い。摂津藩としてはせっかく大金を出して買ったのに、利用されないでは困るというのだ。
「摂津藩の目付けであられる大内様が跡部様のお知り合いで、相談を受けた跡部さまがそういうことならと我らをお呼びになったのだ」
「いいようにこきつかわれてるなあ」
これでは拝み屋と大差ない。小笠原の眉間の皺も、こんな個人的な用件で蛮社改所を使われたことに寄るものだろう。
屋敷は今人払いしてしんと静まりかえっている。
摂津藩の江戸屋敷として使うため、障子も襖も新しいものに変えてきれいなのだが寒々しい印象があった。
往壓たちは屋敷の部屋をひとつひとつ見て回ったがなんの異常もない。
「とにかく夜を待つか」
あやかしが騒ぐのは真夜中だ。