夜になり、神社の境内に火が焚かれた。あちこちから集まった七夕の笹が焼かれるのだ。人出を見込んで屋台もたくさん出ている。はしゃぐ子供らはみな手にべっこう飴と串にささった団子を持っていた。
おさだはとめ吉を背負って炎の中に次々と投げ込まれる笹を見ていた。赤い紙も黄色い紙も青い紙も、願いを書いた紙がどんどん燃えていく。
願いは煙となって空へ昇る。空の神様は願いを叶えてくれるのだろうか。
パチンと竹が弾ける。崩れ落ちた笹の塊から火の粉が散った。その火の粉がおさだを取り巻く。ちくっと目が痛んだのは火の粉がはいったのか。おさだは目を両手で擦った。
「おさだ、おまえは七夕に何を願った」
「―――え?」
韻を上げると辺りは真っ暗だった。目の前で燃えていた炎も、あれだけいた人もいない。ただそばに赤い着物を着た女が立っているだけだ。
「お前の願いをかなえてやろう」
紅に染まった唇と目元で女は優しく微笑んだ。きれいな笑顔なのにそれはとてもとても恐ろしかった。
「七夕に祈ったお前の願いを」
「あ―――あれは嘘です!」
おさだは悲鳴を上げた。
「あれは嘘、嘘なんです。とめ吉を殺さないで!」
「願いに嘘を書いたのかい?」
女は白い獣の顔で笑った。
「夢を嘘にしたのかい?」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
おさだは逃げ出した。背中のとめ吉をしっかりしょって。しかしあたりは真っ暗でどっちへいっていいのかわからない。
「願いは叶えるよ」
女の声がすぐ後からした。
「お前の願いだ」
がくんと身体がひっぱられる。背中のとめ吉の頭に大きな手がかかっているのだ。
おさだは恐怖に叫びながらむりやり前に走ろうとした。そのとき。
――――――――――――ぶちん。
大きな音がしてとめ吉の首がちぎれてしまった。おさだは悲鳴をあげた。女の笑い声が闇に響く。
おさだは顔を覆ってしやがみこんだ………。
「おさだ坊」
暖かな手が肩に乗った。夏とはいえ夜は冷える。おさだは振り向いて背の高い相手に笑った。
「ゆきあつのおじちゃん」
「ほら、べっこう飴と団子だ」
「とめは?」
「無事だよ、よく寝てる」
往壓は左手でとめ吉を抱き、右手に持っていた団子の串とべっこう飴を差し出した。
「わあ、ありがとう」
おさだは往壓から飴と団子を受け取り、とめ吉をおぶらせてもらった。
「願いごとは書けたかい?」
そう問うとこっくりとうなずいて懐から短冊を取り出した。それを大事そうに両手でささげ、往壓に見せる。
とめきちが ながいき しますように
「こんなんでいいのかい? お前の願いは書かなくていいのか?」
「いいのこれで」
おさだはにっこり笑うとその短冊を炎の中へ投げ込んだ。色紙はじきに燃え上がり消えてしまう。
「ずっとあたしはとめ吉に死ね死ね言ってたんだもの。とめ吉が言葉がわからないからってひどいことを。だから嘘がほんとにならないように、これからは一番大事なことだけを願うの」
「そうかい」
「あ、おとっつあん、おっかさん」
おさだは仕事を終えた両親の姿を見つけ往壓の元から駆け出していった。
往壓は微笑んでその姿を見送ると、腰をかがめておさだが立っていたすぐ横の地面に落ちていたものを拾い上げた。
それは人の形を切り抜いた紙で「おさだ」と墨で書いてある。その人形の上にはもう一枚、小さな人形が糊ではりつけてあり、それには「とめきち」と記されてあった。とめきちのほうの人形は頭の部分がちぎれてなくなっている。
「………ひどいねえ、竜の字」
背後から女の声がした。往壓はにやにやしながら手にした人形を丸めた。
「すっかりだまされた」
豊川は苦笑しながら指先で白い紙をさしだした。人形の頭の部分だ。
「まあ、漢神を扱う人間が力をいれて書いた文字なら、あたしが騙されるヒトガタができても無理はないか」
「七夕の笹も燃えてしまった。これで仕舞いだな」
「仕方ないね、今回はあたしの負けだ」
「俺も悪かったんだよ、、簡単に願いをかなえろなんて言っちまったから。仮にもお稲荷さまにな。こんなに霊験あらかたとは、いや、恐れ入りました」
「やめとくれ、馬鹿にされてるみたいだ」
豊川は頭を下げる往壓のわき腹をこづいた。
「あの子の願いは叶えることができなかった。せめてあんたの願いでも叶えてあげようか」
「へえ、姐さんが俺の願いを?」
「そうさ、何か願いがあるかい?」
「そうだな………」
往壓は燃える笹の山をみつめた。眸子に金の色が踊り楽しげに揺れている。
「美人のお酌でうまい酒ってのが望みだな」
「お安い御用さね」
豊川は往壓の差し出した腕に捕まった。
「特製のうま酒を用意しましょうかね」
「うま………酒っていえば雲七も誘おうか」
「おやおや、野暮だこと。ふたりっきりでしっぽり飲もうよ」
「いやあ、後が怖いしなあ」
「この意気地なし!」
バチンと大きな音がして、笹が弾けて火の粉がひときわ大きく立ち昇る。それからキラキラと星屑のように輝いて舞い降りてきた。
それを見ていた人間たちは、みな、今年は自分の願いが叶うだろうと、なんとなくそんなふうに思えて、だれもかれもが唇に笑みを浮かべた。
終わり