「こないだ宰蔵の舞で江戸中のあやかしが大騒ぎしただろ」
前島聖天の境内で、一杯やっているときに往壓がそう言い出した。その話題に宰蔵が口をとがらせる。
「あれはもう収まってるだろ!」
「確かににぎやかでしたねえ」
元閥が朱唇を上げて微笑んだ。
「本所七不思議とか麻布七不思議とか」
「お岩神社や皿屋敷まで騒いだとか」
指を折る元閥にアビが付け加える。
「ああ、確かに収まっている。だけどその中でひとつだけ、今もでているあやかしがいるらしいぜ」
往壓はにやりと笑って空になった皿を手にした。それを見てアビが呟く。
「・・・皿屋敷? お菊の幽霊?」
「そう」
「そもそも皿屋敷について知ってるか?」
往壓の言葉にアビと元閥、小笠原と宰蔵も顔を見合わせた。
「それはアレだろ、その、主家の殿様の家宝の皿、十枚一揃いだったのを割ってしまって、それを責められて殺されたんだ」
「井戸に吊り下げられて鞭打たれて」
「そりゃあ芝居の話だ。しかもかなりはしょられている」
往壓は立てひざをすると身を乗り出した。
「いいか、頃は永正の頃っていうから今から三百年も前の話よ。もともとは番町ではなく、播州、姫路城のあるあの播州の話さ。そこの殿様の家来の青島某っていうのが殿様を毒殺してお家をのっとろうって企みを、見事探ったのが、お菊って女中でな。このお菊はそもそも別な忠臣の妾だったのさ。殿様はいったん身を隠すんだけど、青山某は城に乗り込んでくる。それで青山某は家中の密告者を調べるべく、家来の町坪某に命じる。この町坪ってのがお菊に横恋慕しててふられているんだ。で、かわいさあまって憎さ百倍、十枚一揃いの皿を一枚隠して足りないって難癖をつけてお菊を責め殺して井戸に放り込むんだ。その後、井戸からお菊の皿を数える声が聞こえてくるって伝説になるのさ」
「・・・へえ」
「今でも姫路の城にはお菊の死んだ井戸があるって話よ」
得意気に話を終えた往壓に、アビは「で?」と徳利を差し出した。
「おお、すまん」
猪口に縁まで注いだ酒をすすると往壓は、
「で、その伝説をもとに語感の似ている番町にも皿屋敷があるっていうんで生まれたのが、牛込御門の番町皿屋敷」
「ではそこのお菊は本物ではないと?」
小笠原が伺うように往壓を見上げた。
「たぶん、な。あやかしってのは人がそこになにかいるって思いからも生まれるんだ。番町の皿屋敷に井戸がある。だからお菊の幽霊が出るに違いない、そういった思いから生まれたもんだろう」
「ちょっと待ってくださいよ、皿屋敷っていうのはそもそもお菊の幽霊がでる屋敷のことでしょう? それじゃあ本末転倒だ」
元閥が異を唱える。往壓はちっちっと箸を振った。
「実は皿屋敷ってのはあちこちにあるんだ」
四人は驚く。特に小笠原は管理の手前、そんな数があるのではあやしの手が足りなくなるのではと不安に駆られた。
「皿屋敷の皿ってのは更地の更の意さ。新しく拓いた土地に建てた屋敷はみんな皿屋敷なんだよ。もっとも三百年前の事件がなけりゃ、更に皿と字を当てはしなかっただろうがな」
「なあんだ」
宰蔵はほっとした顔をした。
「じゃあ全部が全部、お菊の幽霊つきってわけじゃあないんだ」
「そうだな」
「だが、さっき往壓さんが言ったまだ騒いでいるお菊っていうのは・・・?」
「ああ、それそれ」
往壓は四人の顔を見回した。
「番町のお菊がここんとこ毎晩あらわれては皿を数えているらしいんだ」
「はあ・・・」
「で、もの好きが見に行った」
「なんでそういうことするかな」
ため息をつきつつアビ。
「まあ、物見高いのは江戸っ子の気質だ。番町の皿屋敷にはな、もうひとつ別な言い伝えがあって、お菊が皿を九枚まで数えて一枚足りない、っていう最後のくだりまで聞いちまうと死んでしまうっていう」
「ああ、それは聞いたことがある!」
元閥がポンと手を打つ。
「あれでしょ、皿の代わりにお前の命をとってやる〜って」
両手を前に突き出し幽霊の真似をする。宰蔵が嫌そうにその手を払った。
「まあ詳しいせりふ回しなんかは知らねえがそんなようなものだ。そしたらその最後のくだりまで聞かなきゃ大丈夫なんだろうって言ってな、肝試し代わりにぞろぞろと」
「だからどうしてそういうことを・・・」
実直な山の民のアビには江戸っ子のそういう畏れを軽んじる気質がわからない。山の民はしてはいけないと言われたことはしないし、古いものには敬意を払う。しかし江戸の人間はしてはいけないと言われるとしたくなるらしいし、古いものは疎んじる。
「それでどうなったの?」
反対に楽しそうなのは元閥だ。神に仕える身でありながらお祭り騒ぎが大好きときている。いや、神に仕える身ならばこそなのか。
「草木も眠るうしみつどき」
往壓は芝居がかった口調で言った。
「豪のものがうわさのお菊の出る井戸で息をひそめて待っていた。するとどこからともなく生ぐさい匂いがして、青白い火の玉がふたつみつ」
「・・・・」
「ふわりと風もないのにあおられた火の玉、井戸の真上でくるくる回転するや、あらわれいでたるお菊の幽霊!」
「いよっ、竜導屋!」
アビと宰蔵はげんなりとした顔をする。
「悲しげな顔をした美女が手にした皿を数え始める・・・一枚二枚三枚四枚・・・まだまだ大丈夫、・・・五枚六枚・・・そろそろ危ない、逃げ出す用意、七枚八枚、そらにげろーってんで逃げ出した」
「ほう」
「で、朝になっても大丈夫だったんで、それなら俺も俺もと物見遊山で見物人が増えたらしい。お菊はめっぽう美人だし、皿を数えるその声がたとえようもなく艶っぽいんだそうだ」
「軽率な! 妖夷相手にそんな遊び半分で」
小笠原が真っ赤になって怒っている。
「江戸を守るために日夜奮闘努力しているわれらの気もしらずに!」
「まあまあ、小笠原の。そこでだ、モノは相談なんだが・・・」
往壓は楽しそうにみんなの顔を見回した。
「俺たちも行ってみないか?」