往壓は坂井屋がその茶碗を買ったという焼き物屋へ行った。すでに信吉が行ってはいたが、もしかして購入者には言えぬこともないとも限らない。
「謂れって言ったってね、前にも坂井屋の若旦那に聞かれましたが、これは新しいものでどんな謂れもいわくもありやしませんよ」
店の主人は狐に似た細い目を尖らせて言った。
「それじゃあ、あの焼き物を焼いた窯元はどうだい?」
往壓は店の棚に並んでいる茶碗を指で撫でながら言った。
「若旦那が言うにはこの茶碗はけっこう安く買ったと言ってたぞ。俺は素人だから茶碗の良し悪しはわからねえが、けっこう上物なんだろ? 窯元から安く買い叩いて恨みを買ってるなんてことはねえのかよ」
「そ、そ、そんなことあるわけないでしょう!」
店の主人は往壓の指が触れた茶碗をさっと取り上げ、ごしごしと布で擦った。狐目がきょときょとと天井や床を見回している。
「………窯元、になんかあるのか」
低く耳元で囁いてやると、「ひえ」と叫んで茶碗を取り落とした。あわや床に落ちる前に、往壓がそれをすくいあげた。
「なに、ただとは言わねえよ」
往壓は財布から金を出した。汚い風体からは想像もつかないような金額に、店の主人は渋々といった様子で話し出した。
「実はあの茶碗を焼いた窯元はもうないのですよ」
「ない? なぜだ」
「窯元が火を出してしまいましてね、中にいた焼き物師は家族も含めてみんな焼け死んだんです。でもそんな話をすると縁起が悪いでしょう?」
主人は袖口で茶碗を擦りながらため息をついた。
「あの茶碗はその焼け跡から掘り出されたんですよ。何点か無事なものがあって、その中のひとつです」
「じゃああの茶碗は焼き物師の家族と一緒に焼かれたってことだな?」
主人はぎょっとした顔をした。
「そ、そうはいってませんよ。窯と家族が寝起きしていた場所は別ですし。人聞きの悪いこと、言わないでくださいよ」
往壓は別な茶碗をとりあげ爪の先で弾いた。チーンと澄んだ音がする。これは磁器の特徴だ。ガラスの材料で使われる長石、けい石を多く含有する石の粉を使ってあるせいでこんな金属音がする。
「もう一つ聞きたい。その焼け死んだ焼き物師の家族に娘はいたか?」
「む、娘さんですか?」
「ああ、年のころなら十五、六の娘盛りの」
往壓の言葉に店の主人は首をひねった。
「さあ、遠く備前鍋島様の唐津の里のお話ですから詳しいことは。ただ焼け死んだのは親子三人と聞きましたねえ」
「親子、か………娘とも息子ともわからねえんだな」
往壓はその話を信吉に伝えた。信吉は腑に落ちた、という顔で茶碗を見つめた。
「では、あのお嬢さんはその焼き物師の方の娘さんなんですね」
「確証はねえ。だがその茶碗にまつわる話はそれだけだ」
「きっと娘さんなんですよ………それではこの世の方ではないんですねえ」
信吉は悲しそうに言った。
まあ茶碗の娘に恋をしても仕方がない、まして相手が死者ならいつかは信吉も諦めるだろう。往壓はそう思った。
だがそれは往壓が甘かった。信吉はその後も茶碗の中を覗くことをやめなかった。たとえ死者とはいえ、生きて存在していたことがわかったのだ。自分の妄想ではない。
話すことも手を握ることもできなくても、会うことだけはできる。信吉の中で茶碗の娘の存在はますます大きくなっていった。
そんな折、坂井屋は薬の仕入れで大きな失敗をして、借金を背負うことになってしまった。このままでは早晩店は潰れてしまう。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり、別な業種の大きなお店から、ぜひ信吉さんに娘をもらってほしいと言って来たのだ。その大店の娘と結婚すれば、坂井屋は資金を融資され立ち直ることができる。
能天気だが孝行息子の信吉が仕事一途の父親を見捨てることはなかった。信吉は大店の娘と婚姻することとなった。