ANOTHER BEAST
さあっと冷気が頬を打ち、哀しげな獣の悲鳴が響いた。
ラキエはフェンクが尻尾を巻いて逃げていくのを見送った後、僕の方を振り向いた。
「もうあいつは呼ばないからな」
怖い顔をして怒っている。僕はラキエの怒りで温度がさがった洞窟の中で、腕を抱えた。
「なんでフェンクをいじめるんだよ、自分で頼んでおいて」
「俺が留守の間、他の奴が近づかないように見張ってろって言ったんだ、オマエをかまっていいとは言ってない」
「僕が中に呼んだんだよ、外は雨が降ってたし……」
ラキエに見張りを頼まれたフェンクは律儀に洞窟の外で伏せていた。だけど冷たい雨が降ってきてふかふかの毛皮がぺったり濡れているのを見たら、誰だってカワイそうになる。
「オマエが気にすることじゃない。大体、馴れ馴れしすぎなんだ、オマエ」
「いいじゃないか、こっちじゃ知り合いはフェンクくらいしかいないんだし」
「オマエが俺以外の悪魔を知る必要はない」
「フェンクはいい子だよ。話をするくらいいいじゃないか」
「話なら、外からでもできる。側に寄せるな、触らせるな。アレだって悪魔だ」
呆れてものもいえない。独占欲が強いとは思ってたけど、なんてやきもちやきなんだ。
「寝てる側に置くなんて、オマエ警戒心がなさすぎだ」
洞窟に呼んで火にあたらせてやっているとすぐにフェンクの毛皮は乾いた。なめらかで手触りのいい毛皮を枕にうとうとしてたところへラキエがやってきて……それでこの騒ぎ。
「……フェンクの毛皮がキモチよかったんだ。僕は犬がすきだし」
「アレは犬なんかじゃないし、毛皮ならいくらでもあるだろ」
ラキエは洞窟の中を見回した。たしかに地面のそこここに寝心地のいい毛皮は敷いてある。だけど、と僕は反論した。
「毛並みがいいんだよ。彼は」
「あんなやつのどこが」
「暖かいし、足の部分のたぷたぷしたところとか触っているとキモチがいいんだ」
「どこ触ってるんだオマエは!」
ラキエが真っ赤になって怒鳴る。僕は大げさにため息をついてみせた。
「……あのね、ラキエ。みんながみんな、君みたいなエロ悪魔じゃないんだよ」
「オマエに悪魔の何が分かる」
「嫉妬深い悪魔がみっともないってことくらいわかるさ」
そう言ってやるとぐっと詰まって黙った。自分がぎゃんぎゃん怒鳴るのがみっともないマネだってことがようやくわかったらしい。
「……そんなに犬が好きなら、なってやるよ」
やがて地を這うような低い声が響いた。
「え?」
「そっちの方がいいんだろ?」
ラキエが短い呪文を唱える。たちまち彼のすがたがふうっとぼやけだした。
「ラキエ?」
ぼやけて崩れ落ちた先で、それはケモノの形にまとまって、やがてそこに一匹の狼が現れた。
ラキエが他のものの姿に変わることができるなんて知らなかった。髪の色を思わせる金色の毛並みの狼が、どうだといわんばかりに見上げてくる。
「君、姿を変えることもできたんだ……」
僕は思わず手を伸ばしてラキエの頭をなでようとした。
その途端、狼はパクっと口を開け、僕の手を咥えた。
「わ」
「だから、オマエは警戒心がないっていうんだ」
すぐに口を離してラキエが狼の口から言葉を発した。
「噛みつかれてから用心したって、遅いんだぞ」
僕は放された手をそっとラキエの頭に乗せて撫でてみた。
「うわぁ、きもちいい」
「当たり前だ」
狼はツンと頭をあげて、少し得意げな素振り。ラキエの細い髪の感触そのままの滑らかな手触りが全身を覆っている。僕は両腕でラキエの頭を抱え、首に顔をつけてすりよせた。
「でも匂いは君の匂いだ。獣臭くないね」
「そこいらの獣といっしょにするな」
僕は彼の首を抱いたまま背中のなだらかな線を撫でた。
「ねえ、尻尾動かしてみてくれよ」
僕の言葉に、ラキエは無言でパタパタと尻尾を振ってみせる。僕は思わず笑った。
「ねえ、尻尾があるってどんな感じなんだい?」
「あるものはある。羽と同じだ」
どこか憮然とした口調でラキエが答える。そう言われても僕には羽根も尻尾もないからわからないけど。
「じゃあやっぱり嬉しいと振るの?」
「さあな。勝手に動いてるかもしれないが、わざわざ確かめたことはないな」
その言葉におや? と思う。
「ってことは、今までにもこの姿になったことがあるんだ?」
「たまにな」
「どんな時?」
「獣をたぶらかした時」
ラキエはそっけなく答えた。僕は彼の背中を撫でる手を止め、身体を離した。
「ほんと?」
「なにが?」
「獣……と、その、……してたって」
「ヤキモチか?」
「違うよ、ほんっとに見境がないな、と思って」
僕は尻尾をつかんでやったがするりと手の中から逃げられた。
「その見境のない悪魔に抱きついて、身体中撫で回してるのはオマエだろ?」
「……もう撫でてやらない」
そう言うとラキエは喉の奥で笑い、僕の顔に舌を伸ばしてきた。
「わっ、やめろよ」
僕は思わず目を閉じて狼の大きな顔を押さえた。だがラキエは僕の抵抗をものともせず、べろべろと顔中なめ回す。
「ラキエ、ちょ、ちょっと」
「撫で回してくれたおかえしだ」
「こら、やめろって」
力いっぱい両手で押すと、ようやく顔を離してくれた。
「……もうっ」
顔中べたべただ。いくら犬が好きだって言ったって、こういうのはまいる。僕は顔についた唾液を手の甲でぬぐった。
と、急に肩を押された。見ると狼が後足で立ち上がって僕の身体に前足をかけている。そのまま体重を乗せられて地面に押し倒されてしまった。
「な、」
下から見上げる顔は、獣に笑顔があるとしたらそんな表情をしている。大きく口をあけて舌をだらりと下げて。
「まだ終わってない」
「な、なにを……」
ラキエは身を屈めて顔を寄せ、僕の耳を舐め始めた。動物の親愛行動とは、はっきりと違う動きだ。
「や、」
耳が弱い僕はラキエの舌をそこからはがそうと頭を掴んだ。するとラキエはパクっと耳全体をくわえてしまう。
「ラ、ラキエ!」
狼はくわえ込んだ口の中で舐めまわす。その感触に僕は掴んだラキエの毛皮をぎゅっと握りしめた。
ラキエはくわえたまま耳元で囁いた。
「あんまり力入れるな。痛い」
「……っ」
ラキエは口を離し、舌を移動させた。首筋から顎の線を辿って、唇まで這い上がってくる。
「う……」
半ばあけた唇の上をなめられ、僕ははっとしてそれを閉じた。
「閉じるな」
狼の舌があわいを何度かなめて、あけるように促す。
「……獣と、キスする趣味はないんでね」
「獣がキスなんかするか」
ラキエは大きく口を開けると、
「獣が別の生き物の口を塞ぐとしたら、狩りの獲物を窒息死させるためだ」
そう言った。窒息死という言葉にびっくりする。
「試してみるか?」
楽しそうに言うラキエから僕は顔をそむけた。
「なに、バカな……」
するとラキエは首をかしげるようにして、
「この向きで食いついて、鼻と口を塞いだまましばらく待てば、息の根を止められる」と続けた。
そう言えば以前テレビのドキュメンタリーでそういう映像を見たことがある。豹がオカピの顔をくわえていた。あれは……噛んでいたんじゃなくて、窒息死させていたのか。
「いやだよ、そんなの」
「だったら大人しくなめさせろ」
そう言いながら唇に舌を這わしてくる。
「今度口閉じたらやるぞ」
たぶん絶対やらないとは思うけど、そばにある大きな牙が怖いので、しぶしぶ目を閉じて薄く唇をあけた。すぐに薄くて長い舌がはいってきて、口内中をなめまわす。
「う……」
いつものラキエのキスと違う感触。僕の身体は自然にこわばる。
ラキエは胸を押さえつけていた前足をモゾモゾと動かしだした。撫でているつもりなのか、脱がすつもりなのか、どっちにしろ獣の足ではできることなんて限られている。ラキエはもどかしに一声唸ると、執拗に舐めていた口を離し、顔を上げた。
「めんどうだ」
一声そう言うとシャツの胸元を口にくわえ、そのまま引きちぎってしまった。
「ああっ! なにをするんだよ!」
僕ははぎれになったシャツを押さえた。人間界から着てきたシャツだ。これをやぶられたらまたラキエのもっている妙ちきりんな布をまとうしかない。
「脱がし難い服が悪い。代わりならいくらでも持っていけ」
「だから君の服なんか着て戻れない……わっ、やめろ!」
ラキエは僕の抗議を聞き流し、裂けて開いた穴に獣の頭を突っ込んだ。力まかせに潜らせた頭を上げて、ビリビリと音をたてながら穴を広げる。
「あー、もう、こんなにしちゃって」
僕は起きあがろうとしたがラキエの足で押えられているので動けない。おまけにラキエが前足を使って服を押し下げたので、両腕が拘束されたみたいに自由がきかなくなった。
ラキエは僕の裸の胸に鼻面を押し当て、フンフンと臭いを嗅いだ。
「獣くさい」
「そりゃそうだよ、君にぺろぺろなめられてたんだから」
「違うだろ? フェンクの匂いだ」
「気のせいだよ。そんなの匂わない」
「いいや、匂う」
ラキエはとがった鼻先を僕の目の前につきつけた。
「だから、俺の匂いになるまで舐めてやる」
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