コミケにおけるやおいの発生について

私がコミケにはじめていったのは1977年で、この年には3回あった。たぶん冬にいったと思う。すごく混んでいた。
会場は大田区産業会館。
ここでアニパロのえっちな本「美少年ガルーダ特集号」を購入。少女マンガ家のあさぎり夕さん、純原ゆうりさんなどが描いていたと思う。ガッチャマンが好きだった私はこの本に描かれたケンとショーがえらくお耽美になっててびっくりした。
コミケに行きたいと思ったのは当時の部の先輩が「合体同盟」というアニパロ本を見せてくれたからだ。今で言うアンソロジーで数人の人でアニメのパロディ、しかも性的なものを描いていた。私はこの本でアニメキャラクターの服を脱がしていいんだと目からうろこが落ちた。

同人サークルとして参加したのはいつだったか定かではないが、1980年、川崎市民ぷらざで本が足りなくなって取り帰ったことを覚えているからそれ以前からだろう。
この頃はコミケ以外に東京文芸出版という印刷会社が運営していた同人誌即売会もあってそちらにも盛んにでていたからなあ、記憶が混沌。

この時期、3つのエポック的な同人誌が出る。

1つがサークル・らぶりのらっぽり増刊「やおい特集号」。私は東京女子大の漫研の「やっはるー」の増刊かと思っていたがそれは間違いで、おそらく私が買ったとき、サークルの机の上にらっぽりとやはっるーが一緒に置いてあったのだろう。今で言う「委託販売」と思われる。
さて、この本の偉大さはなにかえっちなものを描きたいけど、それがなんなのかわからないという人にひとつの方向性を与えたということだろう。
話なんかなくてもいいんだ、描きたいところだけでいいんだ。そういう自由さだ。

もう1冊は「しべーる」。これは、実際は女性向けのアニパロのえろい本が多くなってきたことへの危機感から発売されたロリコン本で、吾妻ひでおさんらが描いていた。この本以降、美少女系の同人誌が増えていき、コミケのもう一つの主流を作った。

最後に「シャア出世物語」。これは1サークルの1冊の本としては爆発的に売れ、そしてその後のアニパロエロに「やおい」とは違う、新しい自由さを与えた。
その自由さとは「一人のキャラが複数相手にしてもいいんだ」「一人の作家がいろんな組み合わせで書いていいんだ」というもの。

今の人には意味わかんないと思うけど、つまり、それまでパロディにおけるエロについてはかなりの規制があった。つまり、キャラクターは純愛しなければならない、一人の人だけを愛さなければならない、そして作者も一つのカップリングだけで、他のカップリングを表現してはいけない。
規則ってわけじゃないけど暗黙の了解というのか、やりたくてもできないような雰囲気だった。それがこの「シャア出世」で枠が外れた。私たちはカップリングの掟から自由になったのだ。

この頃がコミケ的ファーストインパクト。80年〜85年の頃だ。学漫主流の同人誌即売会がアニパロへと突き進み、女性の描き手、書き手、読み手がものすごく増えた。


86年頃からC翼ブームとなる。C翼は私たちにまた新しい自由を与える。
順列組み合わせと言われる多彩なカップリングと「普通さ」。
それまでのアニパロといえばロボットアニメが多かったせいで、主人公は宇宙にいたり、ロボットの操縦者であったりと特殊な人間だった。だがC翼のキャラクターたちはごく普通の学生たちだ。しかも、東京以外の子が多い。北海道から九州まで、地方の子供でもやおいができる(笑)。そういう自由さだ。

このあと聖闘士星矢、シュラト、サムライトルーパーなど多人数の美少年グループが怒濤のように出てくるカラフルなアニメがはじまり(「美少年アニメ」とか言われたな)、女子の同人熱が一気に高まる。あとこの辺の同人誌からプロになった人はかなり多い。

これがセカンドインパクト。86年〜89年の頃。

そしてたくさんのアニメや漫画で幸せな時期が過ぎ、96年にエヴァンゲリオンでサードインパクトだけど、もうこのあたりになると特にBLでターニングポイント的なものはありませんでした。

2013年1月24日に明治大学の藤本ゼミで行ったコミケの歴史についての話より抜粋。



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