その夜は月も星もなく、道を照らすものといえば手にした提灯の灯りだけだった。
夜道を怖がる往壓ではなかったが、さすがに人気のない道を、提灯だけを頼りに歩くのは心もとなかった。
聞こえる音も右手を流れる川の水音だけだ。
(もう少しいけば人家もあるだろう)
小笠原の使いで品川宿にまで行った帰りだった。宿場町のにぎやかさに惹かれて飯屋や賭場を覗いていたらこんな時間に。
顔を上げても真っ暗闇が見えるだけなので、往壓は灯りで照らされた自分の足元ばかりを見つめていた。
なので、道の向こうに灯った明かりにしばらく気づかなかった。
(おや、こんな時間に人がいやがる)
不審に思った気持ちと、人がいたことの安堵さ半々というところだろうか。
自分が不審に思ったということは、向こうもきっとそうだろう、と往壓は考えた。おまけにこちらは、今は小笠原の家臣ということで武士の身なりをしている。辻斬りなどと勘違いされるかもしれない。
とはいえ、声高らかに名乗って歩くのもおかしいし。
往壓はそんなつまらぬ心配をしながら歩き続けた。
向こうの提灯の灯りも徐々に大きくなってくる。
(いや、もしかして向こうが辻斬りという場合も)
(いやいや、辻斬りが提灯などを持って歩くわけもなし)
(おそらく俺のように何か用事があってうっかり遅くなったヤツに違いない)
(しかし提灯を見せて油断させ、近づけば刃物を出してくる強盗って話も)
さまざまに考えを巡らせながら近づいていく。
(それにしても人気のない道は恐ろしいが、そんな場所で人に出会うというのも恐ろしかったり嬉しかったり………なかなか気まずいもんだな) (向こうも同じように怖がっていたりするのだろうか)
(手前でこんばんはと声をかけてみようか)
(鼻歌を歌ってみるというのはどうだろう)
ぐるぐると考えはするが結局黙々と歩き続ける。
やがて相手の姿がぼんやりと見えてきた。もっとも提灯を手前に下げているので足元の部分だけだが。
(おや、女じゃないか)
往壓は驚いた。
(こんな夜更けに女が一人とは、おかしいんじゃないのか? まさか)
ぎゅっと提灯を握る手に力が入る。
(狐狸妖怪の類じゃねえだろうな)
(気をつけろ、声をかけられてうかつに返事をしたら、化かされて川に落とされてしまうかも)
(それとも私娼か? やはり声をかけられてそのへんに連れ込まれて)
(お楽しみの真っ最中に男が刀を下げて乗り込んできたりとか)
それでも足は止まらずどんどん近寄っていく。青い縞の着物の柄が見えた。提灯を持った白い手首が見えた。
もう少しですれ違う。
あと三歩、二歩、一歩。
すれ違いざま、女は軽く会釈をした。つられて往壓もあごを引く。
(………)
いい香りが鼻をくすぐった。