ふらふらと、往壓がいつものように雪輪のいる馬小屋へ行くと、外の川っぷちでアトルがしゃがみこんでいた。
何をしているのかと背後から覗き込むと、なにかぶつぶつ言いながら泥団子をこねている。
いい年した娘が泥遊びかと思っていたが、アトルの指は器用にその泥を馬の形にこしらえた。
「これは雪輪」
アトルはそう言いながら泥でできた馬を木の箱の中へいれた。
木の箱には土がしかれている。
アトルは雪輪を立たせると、そのまわりに小枝で柵を作った。馬小屋らしく見える。
見ているうちに今度は小さな泥人形を作る。
「これはアトル」
泥人形は丸い頭とやや長めの胴体をしていた。顔はただ三つの穴が開いているだけだ。
「………馬に比べて手抜きだな」
思わず呟くと、アトルは「きゃっ」と言って振り返った。
「びっくりした、ゆきあつ。いつからいたんだ」
「お前が雪輪をこしらえているところからさ」
「黙ってみてるなんてひどい」
「雪輪はうまくできてるのに、お前はそれか?」
アトルは自分の泥人形を指でつまんだ。
「これでいいの」
「なんで」
アトルは答えず馬を手に取った。
「上手か?」
「ああ、すごく上手だ」
じっさい、馬の姿は非常によくできていた。よく見てみると額に雪輪の印まで描いてある。
「俺も作ってくれよ」
「ゆきあつを?」
「雪輪の横に」
アトルはちょっと考えていたようだが「いいよ」とうなずいた。
「雪輪の顔を見てくる」
往壓はまた泥をいじりだしたアトルをおいて馬小屋に入った。
雪輪の姿をした七次とたあいない話をしているうちに、アトルが木箱を持って、小屋に戻ってきた。覗き込んでみると馬小屋の柵の中に雪輪が立ち、その横に一体の泥人形が立っていた。
「これ、俺か?」
「そう」
泥人形はさっきのアトルよりはよくできていた。ちゃんと腕も足もある。
「裸だな」
「着物にする布がなかったの」
アトルは往壓の左腕に巻いた布をじっと見ている。
「わかったよ、これを使え」
往壓は布を解くと端を少しだけ歯で切ってやった。アトルは嬉々としてその布を裸の泥人形に巻きつける。
なるほど、女の子は人形遊びが好きなものだ。
アトルは完成した往壓人形を雪輪のそばに置いた。
「どう?」
「ああ、なかなかいいんじゃないか? ところでお前の人形はどうしたんだ?」
「あれはやめた」
「やめた? なんで」
「雪輪と話をするときは二人だけの方がいいだろう?」
アトルがまじめな顔で言う。往壓はなんとなく気恥ずかしさを覚えてぽりぽりと頭をかいた。隣で雪輪が鼻を鳴らして笑った。
幾晩かたって、往壓がまた馬小屋へ顔を出したときには、アトルはいなかった。彼女はまだ吉原だ。今日はたぶん戻ってこない。それを見越してやってきたのだ。
「雲七」
往壓が名を呼ぶと、雪輪は馬の姿から人の姿へ変化した。
逢瀬を楽しんだ後、往壓は馬の姿に戻った雪輪の足元で休んでいた。視線の先に木の箱がある。
ああ、アトルが作った泥人形か。
往壓は重い躯をひきずって、その箱を覗き込んだ。
立っている雪輪、そばにいるぼろ布をまとった自分。
あれからアトルが手をいれたのか、馬も人形もずいぶん形が整っていた。雪輪は生き生きと今にも動き出しそうで、往壓の顔もきちんと作られている。
「おいおい………、こりゃあ尋常な才じゃねえぞ」
往壓は感心した。
木の箱に手をいれて自分の人形に触れようとしたとき、ひやりと背中に冷たいものを感じた。
はっとして振り仰ぐと、真上に巨大な人の顔があった。
それは自分自身の顔だった。
怪物のように大きな自分が自分に手を伸ばしている。
「うわあっ!」
往壓は思わず飛び退った。その勢いで手から木箱が離れ、床に落ちた。
「アッ」
箱の中の泥人形はこなごなに壊れてしまった。
その時、往壓自身の体もこなごなに壊れてしまった。
「ゆきあつ、ゆきあつ」
揺り動かされて目をさました。
褐色の肌の少女が覗き込んでいる。
「うわ!」
往壓は跳ね起きた。
アトルの馬小屋だ。アトルはきょとんとした顔で往壓を見上げている。
「ゆきあつ、こんなところで寝たの?」
「アトル………」
往壓は周りを見回した。馬小屋には雪輪をはじめ、数頭の馬がいて、餌を食んでいる。
「夢………?」
呟いた往壓は、だが、木の箱を見てはっとした。
木の箱の中は泥だらけで人形の姿はない。
「アトル、これ………」
「ああ、朝来たら壊れていた。ゆきあつが壊したの?」
「すまねえ、いや、そうじゃなくて、そうなんだけど、これは――」
「大丈夫、気にするな。また作るから」
「アトル、あのな」
往壓は少女の肩を両手で掴んだ。
「今度は俺は作らないでくれ」
「形のあるものにはね、いろいろとはいりこみますから」
あとで七次が言っていた。
「アトルは自分の人形はわざといい加減に作った。たぶん、そう教えられていたんでしょう。でも往壓さんにほめられて嬉しかったからあんたの人形はていねいに作った。何度も手を加えてね。この場所はアタシのせいでそういうのが集まりやすい場になっていますからね」
「俺はあんなおっかない思いをしたのはひさしぶりだよ」
妖夷よりなにより自分自身があんなに恐ろしいとは。
今日もアトルが川辺で泥遊びをしている。手元にあるのはひいふうみい………五体の泥人形。
「あいつ、奇士の連中を作ってる」
「おやおや」
雪輪はパタリと尾を振った。
「こんどは何を見ることやら」
「な、雲七」
「はい、なんでしょう」
「あの、よ。俺が………俺はほんとはアトルの作った泥人形だってこたあ、ねえよな?」
「いけません、いけませんよ、往壓さん」
馬は大きく口を開けた。
「疑っちゃあいけませんよ」
往壓の耳に、さらさら、さらさらと、砂が零れる音が聞こえてきた………