魔王さまと僕・ダウンロード3000記念
KISS TO ME
「アシュ」
自分勝手でわがままな悪魔が、またひょっこりとやってきた。
真夜中。
何度言っても夜の窓からノックする。開けてやると、背中の大きな翼をはばたかせて部屋の中へ舞い降りた。
いきなり抱きしめてキスすようとするのを、僕は腕をつっぱらせて押しのけた。
「………ちょっと、やめてくれよ」
「久しぶりだって言うのにつれないな」
久しぶり? 久しぶりだって?
ああ、そうだね。三ヶ月も音沙汰なしで!
「あのね、僕が今何をしているかわかる?」
「さあ? 何だろうな」
気ままな悪魔にはわからないだろうね。僕は机の上のファイルを手の甲で叩いた。
「仕事中なんだよ」
「仕事は会社でするもんだろ?」
ラキエは会社を知っている。以前、留守にしていた僕をおいかけて会社までやってきたからだ。そこで彼に悪戯されて僕が泣き出してしまってからは、さすがに来ないが。
「家でする仕事もあるんだよ。こういう資料は会社へ行く前に整理しておかないと」
そっけなく言って、僕はラキエを押しのけた。
「俺サマより大事なシゴト、か」
仕事の邪魔はしないように、ときつく躾てあるから、ラキエは面白くもなさそうな顔で、うろうろとそのへんを歩き回った。
僕は無視してファイルを読む。ホントはたいして急ぎの仕事じゃなかった。これは意地悪だ。ちょっとばかり彼に腹を立てていたから。でもラキエにはわからないだろう。
「アシュ」
何か思いついたらしい悪魔が僕を呼んだ。
「………ん?」
どうせくだらないことだろうと僕は生返事。ラキエが我慢できなくなってお願いしてきたら考えてやらないこともない………。
「手を貸せ」
「手? どうするんだ?」
「オモチャにする」
僕は出そうとしていた手を慌ててひっこめた。
「なんだよそれ。いやだよ」
「なんでだ」
ラキエは不機嫌そうな顔になって僕の手を掴む。
「なんでって、何する気なんだ」
「触る」
「触るって………」
ひっぱってみたがびくとも動かない。
「待ってやってる間、ヒマだからな。そのくらい言うこと聞け」
「待ってもらってなくてもいいよ」
「待たなくていいのか? なら」
「ちがーう!」
いきなり抱き寄せてきた腕を慌てて止める。バカだ、こいつ。
「そうじゃなくて! ………なんで君はいつもいきなりなんだ」
「いきなり? なにがだ」
まったくわかってない顔に、押えていた怒りが爆発した。
「ずっとこなかったと思ったら急にきたり、来たと思ったらすぐこれだ。僕にだって都合や予定があるんだよ」
「だから、終わるまで待ってやるって言ってる」
「そういうことを言ってるんじゃなくて」
僕はため息をついた。
こない間、病気してるんじゃないか、怪我でもしてるんじゃないかって心配してたのに。
もう人間に、僕に飽きたんじゃないのか、いや、それより、やっぱり悪魔は悪魔同士の方がいいんじゃないのかって余計なことまでぐるぐる考えて。
ラキエは向こうから好きなようにこっちへ来れるけど、人間の僕はラキエの世界にいく術がない。ただ彼が来るのを待っているだけで。
………ほんとは会えなくて寂しかった。ラキエのキスや抱きしめる腕が欲しくてたまらなかった。いじわるな指や金色の瞳が、まっすぐに僕を好きだという声が。
だけどそんなことを考えるのもきっと僕だけなんだ。
「仕事、しないのか? 大事なんだろ、俺サマより」
「………(ばか)」
だけどそんなことを言えばつけあがらせるだけだ。僕は黙って掴まれていないほうの腕でファイルを取り上げ、頁を開いた。
ラキエはそんな僕をしばらく見つめていたが、やがて握っていた腕を持ち上げて見た。
僕は片手を貸したまま無視している。
「ふーん」
にやりとラキエが笑う気配。
「!」
掌に湿った生温かさ。見るとラキエが舌を出して、掌を舐め上げている。
「………」
やめろとか怒るとラキエが調子にのるかもしれない、と僕は黙ってそのままにさせた。
ラキエの人間より長く思える舌が掌を湿らせていく。指先に軽い痛み。
「………っ」
思わず視線を向けると、僕の指をくわえているラキエの唇。
「何、考えてる?」
ラキエが楽しそうに笑う。
「な、なにも」
僕は目をそらした。
「ふーん」
指先の痛みが強くなる。ラキエの歯は獣の歯に似ている。尖って鋭い。なんなく僕の指を噛みきれるだろう。
ぞくぞくする。その舌が、歯が、唇が、僕の肌の上を滑る感触を思い出して。
ラキエの口が離れた。離して指先に歯型がついているのを確認している。
「痛かったか?」
僕の目はファイルに向かっているがもう読んでいない。
ラキエは歯型のあたりを舐めている。僕は唇を噛んでそれが呼び覚ます感覚に耐えた。
ラキエの舌はやがて噛み跡からそれて、指全体へ移動した。
「…っふ」
思わず息が漏れる。でもラキエは知らない振りで、敏感な指と指の間の皮膚をくすぐる。
掌、手首、と下が進む。袖口のボタンに歯がかかった。止めようかどうしようか、と僕は迷った。手から快感が広がっていく。今止めたらもっと大きな快感が欲しくなる。
ラキエはそのまま歯でボタンを引き千切って、プイッと吐き出した。
僕の顔を見て、「仕事は?」などとにやにやしながら言う。
「し、してるよ」
僕は必死にファイルを見る。
「ふん」
今度は腕を持ち上げて、袖を引き下ろす。手首から腕の内側をゆっくりと舐め下ろした。さすがにそれは耐えられない。僕は力をこめて腕を引こうとしたが、無駄だった。
「なんだよ」
軽く握っているように見えるのに、ラキエの力にはかなわない。
「こんなの──邪魔してるだけじゃないか」
泣きそうな声になるのが悔しくて、僕は空いている手で机の上を叩いた。
「仕事に使ってない手を触っているだけだ」
「つ、使うよ。頁をめくらなきゃ。腕はもう駄目だ」
「めくってやる」
ラキエはそう言うと手を伸ばして僕のファイルをめくった。
「そんなの………」
「邪魔どころか手伝いまでしている」
偉そうに言うと、ラキエはひじの裏側にキスしてきた。
「う」
「どうした? まためくるのか?」
意地悪な笑み。悪魔の笑みだ。
「………」
僕は目を閉じて、呼吸を整えて、ファイルを読もうとした。
ラキエの方は僕の二の腕を軽く撫でながら、指をくわえる。舌を絡めてわざと音をたててみたり。
ファイルを持つ手に力が入ってしわがよる。もう駄目かもしれない。
ラキエが甘噛みしながら様子を見ている。いいようにされるのが悔しい。
「アシュ」
「………っ」
「今なに考えている?」
「………」
僕は無言で首を振った。
「俺のことだろ?」
耳元に唇を触れさせてラキエが囁く。
僕はうつむいて首を横に振る。
ラキエはそんな僕の顎に指をかけ、顔を上げさせて覗きこんだ。
「俺のことしか考えられない………そうだろ?」
目の縁が熱い。息がつまる。
ラキエのきれいな顔が近づいてきて──唇をふさがれた。
キスだ。僕の欲しかったキス………。
「う、────ん、ん」
だけど僕は精一杯の気持ちで空いている手でラキエの胸を叩いた。
「なんだよ、まだ仕事か?」
呆れた口調でラキエが言う。
「できる、わけ、ないじゃないか」
キスの余韻で息が弾んだ。
「なら、何が問題なんだ」
「君が!」
僕はかっとなって叫んだ。
「俺が?」
不思議そうに見つめてくる金色の瞳。
「ずっとこなかったくせに、来たと思ったら人のこと、ていのいい道具みたいに!」
「道具?」
ラキエは心外だ、といわんばかりに目を見開いて見せた。
「お前は道具の都合を聞くのか?」
「………」
そんなふうに言われるとつまる。だけど。
「だけど………」
「だけど、なんだ?」
「ただ、抱くためにだけ来るなら………こなくていい」
つい僕は言ってしまった。いつも思っていること、僕のわがまま。
「君を待ちたくない」
ラキエはわからない、という顔で首をかしげる。そうさ、君にはわからないよね。なにもかも、好きなようにする悪魔なんかには。
「……君と僕の間には約束もなにもないんだ。君の好きな時に好きなようにするだけで」
「約束が欲しいのか?」
「………そうじゃない」
そういうことじゃない。僕は椅子からたちあがってラキエから離れた。
人間の恋人同士でも同じなのだろうか? 相手が自分のことを愛しているなんて、どうやって信じるのだろう。確認するのだろう?
確認のために将来を誓い合うのか? 指輪を交換し、家庭を夢見るのか?
だったら悪魔を愛してしまった僕にはそれすらできない。生きていく時間すら違う生き物。訪れるのをひたすら待つただの人間の僕。
僕はラキエを待つのが楽しくて辛い。会えると嬉しい。会えないと寂しい。こない間は心配になる。
でもラキエは気まぐれだ。僕がどんなに願っても、気が向かなければ来やしない。このまま彼が来なくなるのでないか、いつもそんな不安を抱いているなんてラキエにはわからない。
「欲しいものがあるならなんでもくれてやる」
ラキエは大事なことを簡単に口に出す。そうできる自信があるからだ。
「でも、口に出して言わなきゃわからないだろうが」
僕はラキエを見つめた。彼は真摯なまなざしで僕を見つめてくる。普段は意地悪ばかり言うくせに、こんなときだけマジメな顔で。
「気まぐれな魔王さまから自由を奪っちゃいけないよな」
「何が訊きたい? 何を誓わせたい? お前はどうしたくて何が欲しいんだ。言う前に諦めるな」
………約束なんかしたら、君はそれを守るために命まで賭けるだろう。僕はそれが怖い。人間なんかに約束をしてはだめだ。
そう、僕はラキエがそういう存在であるということを知っている。ラキエは僕のために命を投げ出す悪魔だという事を。それだけで充分かもしれないね。
僕は黙って首を振った。
「ごめん、ただのヤツあたりだよ」
「大事にしているものなら奪いたくなる。要らないっていうものなら無理にでも押しつけたくなる。それが悪魔ってもんだ」
ラキエは大マジメな口調で言った。
「お前は全部俺サマのものだ。あとは要らない、なんて抜かしやがった俺サマを無理矢理くれてやるだけだ」
どういう理屈なんだか。でもラキエは僕の不安を感じ取り、精一杯の思いで言ってくれているのだろう。何も心配しなくていい、自分は僕のものだと。
約束なんかしなくても、ラキエは必ず来てくれる。
「傲慢で自分勝手な悪魔だ」
僕はようやく笑うことができた。
「でも欲しいだろ?」
ラキエもニッと笑う。
「どうかな」
「答えは欲しいか欲しくないかの二つだけだ」
「自分で試してみれば?」
僕はラキエに向かって腕を広げた。
「望むところだ」
ラキエが笑顔のまま僕を抱きしめる。
「僕は強情だからね。しっかり試してもらわないとわからないよ」
僕は彼の広い背中に腕を回して、流れる金色の髪を指で絡めとった。
「しっかり試せ、か。その言葉、後悔すんなよ」
力強い抱擁に眩暈がする。
ずっとこの腕が欲しかったんだ。
僕の不安もなにもかも消してくれるこの腕が。熱が。力が。
そう言ったらこの悪魔はどんな顔をするだろう? 笑うだろうか? また意地悪を言うだろうか?
僕は言わない。
傲慢で優しい悪魔を、これ以上つけあがらせるもんか。
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