魔王さまと僕

Devils Blood

 目が覚めたら周りが青白く光る岩肌だった。しばらくぼんやりとそれを見ていたが、やがてここがラキエの洞窟であることを思い出す。
 そうだ、少しばかりまとまった休みがとれたので魔界へ遊びにきたら、毒蜘蛛(厳密には蜘蛛のような形の生物)に噛まれ、そのあと熱を出して昏睡状態に陥ったのだ……
 魔界はいたるところに危険がある。人間には決して棲めない世界だ。
 僕はくるまっていた毛皮からもそもそと這い出た。ここへ来るとき身につけていた服はない。汗をかくという理由でラキエに脱がされてしまい、今来ているのは着物のような薄い布一枚。ひんやりとした空気に身震いして、毛皮を肩からはおった。
「ラキエ?」
 見渡したがラキエはいないようだ。
「どこかいったのかな………」
 起きあがろうとするが足が痛い。三日前のことなのに今噛まれたみたいにずきずきする。この分ではしばらくあっちに戻れないかもしれない。
 ラキエはすごく過保護だから……痛みのとれないうちは自分の手元から離さないだろう。それに三日の間、ラキエも気遣ったのか、あまり触れてこなかった。あのエロ悪魔がそのままでおくなんてことは絶対ないし。
 すぐそばに水瓶が用意されていた。たぶん、意識のない間、僕が水を欲しがったのだろう。僕は這っていって水瓶から水を飲んだ。瓶のそばにラキエが置いていったらしい果物や木の実があるが、あまり食欲がない。
(ラキエ、どこへ行ったのかな………どうせ入口には結界があるだろうし………探しにもいけない)
 バサバサッと羽音が聞こえた。あの音はラキエの翼が風を切る音だ。その後洞窟の入口でバシッと大きな音がした。
「ッテ……何だ、何で結界なんか」
 やっぱりラキエだ。なんか怒ってる。自分で結界を張っていったのを覚えていないのか。
「ラキエ?」
 僕は壁に寄りかかって立ち上がり、足を引きずりながら入口へと向かった。
 ラキエはどかどかと乱暴な歩調で入ってきたが、僕を見て棒を飲んだように突っ立ってしまった。まるで僕の存在なんか忘れていたみたいに。
「あ……、あー」
 ……どうやらホントに忘れていたらしい。そうだった、という表情でうなずいたりしている。僕はおかえりと言おうとして、ラキエの姿に声を失った。
「な、なんだ、どうしたんだ、その血は!」
 今まで逆光になってたから気づかなかったけど、ラキエの服や顔や手が血だらけだった。悪魔特有の紫っぽい血!
 僕は足を引きずってラキエのそばに、精一杯のスピードで駆け寄った。
「け、怪我をしてるのか?!」
「どこも何ともない。怪我してるのはオマエの方だろ」
 ラキエはちゃんと寝ておけと言って、洞窟の奥を顎で示した。
「だって君、血まみれ………顔も、服も………手も」
「俺の血じゃねぇよ」
 ラキエはそっけなく答える。僕は彼の身体に傷がないか覗き込んだ。ところどころかすり傷はあるようだが、出血しているような大きな怪我はないようだった。
「………ケンカ、したの?」
「ケンカじゃない。これは狩りだ」
「カリ?」
 僕はちょっと考えてしまった。
「ああ、狩り…か」
 狩りというと弓矢を持った原始人を思い出してしまうが、こいつは悪魔でここは魔界で。
「………悪魔だよね、相手も」
「こんな血の色をした人間は、見たことがないな」
 ラキエは僕に見せつけるように、血まみれの手を顔の前にかざした。指先に肉片らしきものがこびりついているのを見て、ラキエの狩りの意味を知る。
「えと、その……食べてきたの?」
「喰う為にするのが狩りだ」
「そうだよね」
 時々忘れるけど、やっぱりコイツ悪魔なんだよな……
「俺には、死体を飾っとく趣味はないし、戦いもしなけりゃ喰えもしないものを狩るなんていうニンゲンの趣味も分からないな」
 ラキエはマジメに言っているようだが、どうも人間を皮肉っているようにしか聞こえない。
「君の趣味はいいけど、その、血をなんとかしてもらえないかな」
 僕はラキエから一歩あとずさった。
「すごい匂いだ。くらくらする」
「気になるか?」
「あたりまえだろ。顔も………怖いよ。洗ってくるまでそばにくるなよ」
 実際立ち上ってくる血の匂いは強烈だった。人間や動物の血の匂いとも違う、独特の異臭。
 僕は背を向けて奥に戻ろうとした。
「アシュ」
「?」
 呼びかけられて肩越しに振り向くと、いきなりその頬を両手で挟まれた。まだ乾いてない血糊がベッタリと肌につく。
「うわっ」
「気になるなら、いっそのことオマエもまみれてみりゃ紛れるもんだぞ」
 ニィっとラキエが口角を上げて意地の悪い笑みを作っている。
「ちょ……やめろよ」
 僕は気持ちの悪さにラキエの身体を押し返した。と、ラキエは背中からのしかかるように抱きついてきた。
 ラキエの服についていた返り血が、じっとりと着ていた布にも染み込んでくる。悪魔の匂いが立ち昇って息がつまった。
 それらのことにぞっとして、僕はラキエの腕の中で暴れた。
「は、離せ」
 ラキエは片手で僕を拘束し続けながら、もう片手を首筋から服の合わせまで、血を塗り広げるようにおろした。指の跡が胸の上に紫色の五本の線を引く。
「これでオマエも血まみれだ」
 ラキエは満足そうに笑った。
「まだ、落としてくるまでそばにくるななんて口、きくか?」
 そばに寄るなと言ったのが気に障ったらしい。ラキエは僕が足が悪いのを承知で体重をかけた。
「あっ」
 支えきれず、地面に崩れる。強く膝を打って、思わず悲鳴が上がった。
「…ッツ」
「大丈夫か?」
 自分でやっておいて、この、ヌケヌケと……僕の中で怒りが沸き上がった。
「大丈夫、なわけ、あるか! どいてくれ」
「ダメだ」
 あっさりと、僕の怒りを冷ますかのような冷たい声。
 だ、だめって………なんだそれ。
「捕えた獲物は、喰うのがキマリだ」
 ドキリとする。ラキエは今、獲物を殺して食ってきたばかりだということを思い出す。戦いの興奮で僕がここに来ていたことも、そのために結界を張っていたことも忘れ果てていた悪魔だ。興奮の続きで本当に僕を食うかも……と一瞬思った。
「アシュ、狩りの続きだ」
「じょ、冗談だろ」
 ラキエは僕の言葉に応えずに、首筋に唇を這わしてきた。その唇が熱くてびくっとする。いつもはもっと冷たいのに。戦いの余韻が彼の身体や血を熱くしているのか。
「イッ…ッ」
 歯を立てられた! 鋭い痛みが本能的な恐怖となる。
「痛いっ、馬鹿! 離せ!」
 ラキエは僕の首筋から顔を離した。自分がつけた噛み跡を確認しているようだった。
 僕は力が少し緩んだ隙に彼の腕から逃げ出した。片足で立って、壁に寄りかかると膝立ちのままのラキエを見下ろした。ラキエは僕を見上げて、舌で牙をなぞった。真っ白な牙。
「イキがいいのは良いが、ヘタに暴れてたら、今頃自分の血で濡れてる所だ」
 噛み跡に手をやると、悪魔とは違う赤い色がついた。ほんのかすり傷程度だったが怖くなった僕は壁伝いに奥の方へ逃げだした。
「アシュ、狩るところからやり直して欲しいのか?」
 ラキエの声が背中から聞こえる。足が痛くてもたついてる僕だ、本気で追わなくてもいいと思っているのだろう。ふりむくとゆっくりと彼が立ち上がるのが見えた。
 僕はラキエが散らかしている巣の奥の方へ向かった。悪魔は少しの距離をとって、その後からついてくる。
 何度も来ているが、僕はこの洞窟のすべてを知ってはいない。一山分ほどある広大な空間だ。どのくらい続いているのか分からないし、明りはところどころ、必要なところにだけしかない。それもラキエが光苔のようなものを置いているだけで弱々しい灯だ。暗いところは本当に何も見えない。そして暗闇は……危険だ。
「なあ、アシュ」
 ラキエの声が洞窟に響いた。
「自分で自分を弱らせなくったって、かまわないんだぜ?」
「………」
 僕は明りが届かないところまできて立ち止まった。目の前は本当に闇だ。この先は……行ったこともない。
「掴まえたら、ちゃんと相応しい場所で喰ってやるよ」
 足が痛くて立っていられなくなる。僕は諦めて膝をつくと近付いてくるラキエを待った。
「もう、逃げられないだろ?」
 ニヤニヤしながらラキエが顔を寄せてくる。僕は血まみれのその顔を押し返した。ラキエはその手を掴んで僕を引き寄せた。
「傷ついて、怯えて……本当にオマエ、獲物そのものだな」
 勝手に言ってろ。僕はふくれつらのままラキエに抱きかかえられた。

 ラキエは灯りのある開けた所まで来ると、毛皮の敷布の上に僕の身体をそっと下ろした。
 僕は彼から距離を取ろうと、少し身を引いた。血の匂いがいっこうに薄らがなかったからだ。
「まだ逃げるつもりか?」
「君………怖いよ」
「これからオマエをとって喰おうって相手だ、怖くなくてどうする」
 ラキエの言っていることは比喩なんだとは思うけど、なんかホンキみたいにも思えて怖い。
「観念しておとなしく喰われるか、ムダでも抵抗してみるか、オマエはどっちの方だ?」
 そう言うと悪魔は怪我をしていない方の足首を掴んで引いた。そこにもべっとりと血の色がつく。足をひっぱってみるがびくともしない。
「………痛くない方で頼むよ………」
 ラキエはそれを聞いて声を上げて笑った。
「痛くしないでって言った獲物はオマエだけだ」
 その顔もなんだか普段より獰猛で、僕は顔をそむけて背をむけた。するとラキエの舌が僕のうなじをなめあげる。
「うっ」
 ぴりっとしみたのはさっき噛まれた跡だ。
「オマエが暴れるからだぞ、アシュ」
「く、う」
 首筋でしゃべられて身体が震える。
 舌は首からツゥっと、頬まで辿って、青い血をひと舐めする。
「やっぱり、オマエの血の方が甘い」
 ラキエは耳たぶに唇を移し、囁いた。
「悪魔の血は僕には苦しいよ……」
 舌が耳に入ってくる感触に耐えながら僕は頼んだ。
「匂いがキツすぎて………クラクラする」
「きちんと全部、舐めとってやる。それまで我慢しろ」
 ラキエはそう言うと足首を放し、胸元へ手を伸ばした。血で滑る指で胸の突起をこね始める。
「い、やだ………」
「痛くはしてない」
「血が………」
「我慢しろ」
「いやだ………」
 思わずその手を押さえると爪でカリッと引っかかれてしまった。
「アウッ」
 ラキエは軽いつもりだろうけど、感じやすい部分なのでかなり痛い。
 ラキエは痛みに固まった僕の手を振りほどき、着ているものの襟首を掴んで引きおろした。肩を落として、露わになった背中に唇を寄せる。
 背骨を上下になぞり、そこかしこにキスの跡を残して、肩甲骨のてっぺんまにまでたどり着くと牙──そう、歯じゃない、牙を立てた。
「ア」
 僕が身体を震わせたのは、噛まれる痛みが食われる恐怖になったからだ。だが暴れるとよけいラキエを刺激してしまう気がして、じっと動きを止めていた。
 ラキエは噛むのを止め、その跡を確かめているようだった。満足げに笑う気配がする。そのあとまた唇の感触があった。
「…………?」
 僕は背中の痛みだけではない小さな痛みに気づいた。顔や首、胸のあたりがチリチリ痛みだす。蝋燭であぶられているような熱い痛みだ。
「………ッ」
 その痛みは見なくてもわかる。ラキエが塗りたくった悪魔の血がついた場所から。
 そんな様子に気づかずに、ラキエは手を下に伸ばし、裾を割って膝から中心に向かって撫で上げた。その跡に、薄く紫の線が引かれる。
「ラ、ラキエッ!」
 僕は思わずその手を止めた。ラキエの手が向かっている場所、そんなところに塗られたらどうなるか、考えただけで痛い。
「何だ」
 いい加減、僕が抵抗を止めないのに苛立ったのだろう、不機嫌な声を出す。
「………」
 僕は言おうかどうしようか迷った。面白がって余計やるかもしれないし。
「も、もう、それはいやだ………」
「それって何だ? もうって、まだ何もしてない」
 ラキエにしてみれば至極もっともな意見だろう。彼はただ手で撫でているだけだ。
「血、血が………」
「血がつくのがそんなにイヤなのか」
「ほ、他の悪魔の血なんかこれ以上つけられるのはイヤだ」
 彼の独占欲の強さを刺激してやる。他の悪魔という言葉に、ラキエはちょっと考えたようだった。
「分かった……」
 ラキエはうなずくとさばいた裾の生地を掴み、手についた血を拭った。これでもう血をつけられることはない。
 ほっとするが、その途端、胸の、たっぷりと血を塗り込められた乳首の痛みが強くなった。
 指で血を拭き取ろうとするが、触れるだけで生皮を剥がされるように痛む。
「ウッ」
 僕は胸を押さえて前のめりになった。
「どうした?」
 ラキエは訝しげに僕の顔を覗き込んだ。
「………い、いたい……」
 僕は小声で訴えた。
「何もしてないぞ」
「………血、が」
 手で顔から首に触れる。熱くなっているのがわかった。ラキエは僕の手を追って肌に触れ、驚いたように手を引っ込めた。
「血のついてる所が痛むのか?」
 彼は慌ててはだけた僕の服を引っつかんで擦り落とそうとした。
「イッ……いたっ!」
 悲鳴を上げてしまった。火傷の上を擦られたような痛みが走ったのだ。
 ラキエは困った顔であちこち見回した。彼はセックス以外で僕が苦痛を感じることを喜ばない。
「う、………っつ」
 情けない話だが、あまりの痛みに涙がにじんだ。僕はもう少し自分が我慢強いと思っていたんだけど。
「泣くな」
 ラキエは怒鳴ると僕の頬に伝った涙に舌を伸ばした。その時、血も一緒に舐めとったらしい、とたんに頬からすっと熱が引いた。
「あ………」
 ラキエにも僕の変化がわかったようだ。彼は僕の顔を覗き込むと真剣な口調で言った。
「アシュ、どこが一番痛む?」
「………む、胸」
 恥ずかしいが痛みが激しくて、この際かまってられない。
「分かった、すぐによくしてやるから」
 ラキエは僕を身体から布をはがすと毛皮の上に横たえた。悪魔の返り血のついた自分の服も脱ぎ捨てる。そっと覆い被さって、胸元に顔を伏せた。
「ア」
 ラキエの舌がなぞった場所からすうっと熱が引いていく。塗りつけた時以上に丁寧に、彼は舌で血を拭っていった。
「あ、………ああ………」
 僕は気持ちがよくて思わずラキエの頭を抱えこんだ。
「ラ、ラキエ、こっち、こっちも………」
 頭をぐいぐいと反対側にも押しつける。普段は絶対しない、こんな真似。
「分かった。分かったから……、押さえつけるな」
 ラキエは僕の言うままに反対側にも舌を伸ばした。転がすように周りを舐め、唇で挟んで先端も念入りに清めてくれる。
「う、………は、あ…」
 熱く痛む場所がひんやりと冷やされ苦痛が薄らいでいく。その気持良さに思わずはしたないくらいの声が出てしまう。
 ラキエが固くとがった部分をチュッと吸い上げた。これは……余計なことだ。痛みが引いてきた今は、別な気持ちよさを誘発する。
「ん………」
 ラキエは胸から口を離し、首筋に伝った血の跡を舐めていく。そこも、そう、痛むけど、でも。
「ラキエ、もっと………」
 僕はラキエの顔を胸の方へ向けた。
「まだ………痛い」
 僕の思惑に気づかなかったか、ラキエは素直に胸に唇を戻してくれた。唇ではさんで舌でつついたり転がしたり。やわやわと甘噛みされたときには大きな声をあげそうになって口を手で押さえなければならなかった。
「ん………っ」
 もう胸だけじゃ……物足りない。僕は少しだけ膝を開くとラキエを呼んだ。
「ラ、ラキ………」
「ん?」
「あ、あの………まだ、血が………、い、痛いとこ、あるんだ」
 さすがに恥ずかしくて言いよどんでしまう。
「ああ、ここ」
 ラキエは気づいたように首筋から頬を舐めあげた。た、たしかにそこも血が残ってるけど。
「と、ここだな」
 身体を起こすと僕の足首を掴む。べっとり血がついてくるぶしを舐め始める。
「あ、う、うん………そこも、だけど」
「他にもついてるか?」
「さ、さっき、その、足の上の方にも………ついたみたいで」
 すごくわざとらしいかもしれない。
「分かった」
 ラキエはそう言うと舐め終わった足首から手を滑らせ、膝裏を押しあげた。
「え?」
 腰が浮くほど片足を持ち上げると、顔を近づけて覗き込む。
「な、なに、を」
 あんまりな体勢に思わず足の間の布を押さえてしまう。
「探してる」
 さっきなで上げて線を引いた跡に舌を這わせ、つぅーっと上まで舐める。口をつけたまま、目線だけ僕の方に向けた。金色の瞳が楽しそうに笑った。
「これより上、だな」
「や、やだよ、足をおろしてくれ」
「だったら、どこが痛いのかちゃんと言ってみろ」
「あ、あの………」
 もうこの悪魔には僕の望みはわかっている。
 なのに。
「も、もっと上……」
 ラキエは黙って足のつけね近くにキスをした。強く、痛みを覚えるほどに吸い上げられる。その上で僕はもうすっかり恥ずかしい状態になっているっていうのに。
「じ、焦らすな、ってば……」
「……分かった」
 ラキエは目を細めると(たぶんまた僕には見えない快感のオーラとやらを見てるんだ)満足そうな顔をして、待ちわびている僕のそこに顔を伏せた。
「ン………ッ、」
 ラキエの口の中に飲み込まれる。口内に擦り付けられるようにされて、急速に快感が高まっていく。
「んんっ………」
 もうすぐにもイキそうだったのに、ラキエはつるりと口を離すと、先端にチュッとキスをした。今度は舌を伸ばして舐めていく。
「ラ、ラキエ、も………」
「もう、痛くないか?」
「あ、や、やだ………ッ」
 しゃべるために中断された動きに思わず声を上げてしまった。腰さえ揺らしてねだってしまった僕に、ラキエはにいっと口の端をつりあげた。
「大丈夫だ、ちゃんとよくしてやる」
 こ、この……エロ悪魔〜〜っ!

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 
 グッタリと意識を失ってその場に横たわるアシュの肌は、丹念に舐め取ったから悪魔の血の色は残っていない。だが、白い肌はところどころ赤くまだらになっている。触れるとまだ熱いようだった。
 赤くなっている所にはできるだけ触れないように抱えあげ、数日間アシュが寝ていた場所へ移動した。ここには熱でうなされて水を欲しがった時のために、水瓶が用意してある。
 そっと敷布の上に降ろして、積み上げられた物の中から薄い布でできた服を引っ張り出した。適当に裂いて水瓶の水に浸す。ポタポタと水が滴る布で、赤くなった所に触れ、様子を見ながらそっと肌を拭っていく。
「………う」
 痛みはないと言っていたが、触れると動く。俺は手を止めてアシュの顔を覗き込んだ。
「痛むか? アシュ」
「………」
 すうすうと穏やかな寝息が聞こえるだけだ。ぐっすり寝ている。痛くはなさそうなので、また布を押し当てた。
「ん……」
 アシュが無意識だろうけど俺の方へと擦り寄ってくる。手が動いて探しているようだったので、軽く握ってやった。その手に捕まるみたいに身体をちぢこめるさまがかわいい。
 それにしても……
「アシュ」
「………ん…」
 呼ぶと薄く目を開けた。
「湖に行くぞ」
「みず………み?」
 目をぱちぱちさせている。まだ眠いのだろう。
「これじゃあ赤みがひかない」
 俺は手にしていた服を放り投げた。
 ぼうっとした顔のアシュの背を抱いて起き上がらせる。アシュは自分の赤くなっている胸を触って、それから俺を見上げた。
「もう痛くないよ?」
「当たり前だ。血は全部きれいに舐めとったんだ」
 それを聞いて、意識をうしなう前のことを思い出したか赤くなる。いつものことながらよくわからない反応だ。したいことをした後、どうしてこんなに恥ずかしがるのか。まあその感情の波も心地いいものだが。
「そうやって、赤くなってると目立たないがな」
 頬に指を触れさせると、その手を掴まれ、軽く噛まれた。
「身体中、君の匂いになってる………」
 そうだな、たっぷり舐めてやったから。
「フェンクだって間違えるかもな」
 なんでここにあのバカ犬の名前が出てくるんだ?
「このまま俺の匂いをつけたままいたいか?」
「うーん………」
 アシュは考えるふりをして目を閉じた。そのまま眠りにはいろうとする。俺はぺちぺちと頬を叩いてやった。
「ベタベタするとか、匂いがとか、いつもはうるさいくせに」
「………空とんでいく?」
 半分寝かかってる声だ。
「その方が早い」
「君に抱かれて空飛ぶのは好きだな………寒くなければなおいいけど………」
 贅沢言いやがる。俺は握られていた手を離し、またガラクタの山を漁った。簡単に引っ掛けられるものを選んで、それでアシュの体を包み込み、抱き上げた。
 アシュは俺の胸に顔をもたせるとそのまま眠ってしまった。まあ湖につくまではかまわないだろう。なによりこんなふうに安心感でいっぱいのオーラは俺にとっても気持ちがいい。
 翼を広げるとアシュを起こさないようにそっと飛び上がった。

 
 しばらく飛んで目的の湖に着いた。腕の中のアシュに声をかける。
「アシュ、着いたぞ。いい加減に起きろ」
「んん………?」
 アシュは小さくあくびをして、目を開けた。周りを見て不思議そうな顔をする。
「あれ?………知らない場所だね」
「ここのが、水が冷たいんだ」
 いつもアシュを連れてくる泉より数倍大きな湖だ。少し遠いので今まで来たことはなかった。
「ほら、アシュ」
 足を抱えていた腕を下ろすと、このバカ、怪我をしてる足の方で降りやがった。
「あっ」
「しっかりしろ」
 まだ痛むのだろう、唇を噛んでうつむいている。苦痛の波動も俺の中の快感を刺激するが、あいにくこの傷は俺がつけたものではないから腹立たしいだけだ。
 だがアシュがマヌケなことを知ってて無防備に足を降ろさせた俺がうかつだったのだ。
 俺は自分につかまらせたまま、アシュの肩から引っ掛けただけの布を剥いだ。
「………中まで連れていってくれるかい?」
 アシュが下から見上げる。
「放っておくと溺れかねないからな」
 俺は腕を首にまわさせ、抱えあげた。そのまま水の中にザブザブと入っていく。水は澄んで冷たく、気持ちがいい。
「いつも思うけど、ラキエは力があるよね。僕だって一応成人男性の体重はあるんだけど」
 アシュがまたバカなことを言っている。俺は鼻で笑ってやった。
「悪魔を何だと思ってるんだ、アシュ」
「なんだろうね?………いまのところは僕の恋人かな?」
 聞きずてならないことを聞いたぞ。俺は腕の中の人間を見つめた。
「今のところは?」
「いつ餌になるかわからないんだろう?」
 アシュが笑っている。こいつの言葉は時々わかりにくい。笑って言うような言葉なんだろうか? 表情と感情と言葉の意味が一致しないことが多いのだ。
「愛されていると思ったのは僕だけで、君は僕を餌として飼っているんじゃないの?」
 今度は悲しそうな顔だ。だが、感情はそうじゃない。こういう複雑なのは読みにくい。
 俺はアシュを高い位置に抱えなおし、そばに寄った頬を舐めてやった。
「オマエは、どこもかしこも美味そうだ」
「やっぱり餌か?」
「餌を飼う? 俺サマがか?」
 ふざけたことを言う。
「見つけた獲物は、狩って喰うぞ」
「でもいつか僕を食う?」
 アシュはまだ穏やかな笑みを見せている。でも感情は……感情は……どこか快感にも似ている。
「悪魔の血で飾って痛めつけて……引き裂く?」
「オマエがそうして欲しいならな」
 一瞬、悪魔の血にまみれて苦しんでいるアシュの姿が目に浮かんだ。その心臓をえぐり、内臓を掴みだして温かい血を飲んで……ぞくぞくするほど興奮する想像だった。
「他の悪魔に食われるくらいなら君に殺されたほうがいいかな。そしたら君の細胞のひとつくらいにはなれるだろうし」
 その興奮もアシュの言葉ですっと冷める。アシュの命を他のヤツが奪うと思っただけで不快になる。
「他の悪魔に一欠けらだってくれてやるか」
 俺は湖の深い所へと進んだ。抱えあげていた足が水面につく。アシュは「冷たい」と悲鳴を上げた。
「このくらい冷たいほうが良いだろ」
 もう少し深い場所まで進んで止まる。腕を下ろして、アシュを水の中へつけてからそっと身体を離した。浮力がかかるから足も楽だろう。
 アシュは今度はちゃんと立って、水で顔を洗ったりした。俺はうなじとか胸とか、赤くなっている部分に水をかけてやった。
「そんなに気になる?」
 アシュが不思議そうに聞いた。
「餌が痛んでいたらいやだとか、バナナの黒い部分を気にするタイプなのかい?」
 バナナが何かは知らないが。
「どうせ飾るなら、俺の血で飾ってやろう」
「え?」
「痛みも快感も、与えるのは俺だけでいい」
 そうだ、他のどんな悪魔も、苦痛も、危険も、死も、オマエのそばには近づけさせない。
「オマエは俺のものだからな」
 重ねた唇に命の息吹。輝く魂の色。俺に対する心地よい感情。
 手放せるものか。
 俺の唯一の人間。ただ一人の──アシュを。
Copyright 2005 All rights reserved.