「どうしたんです、ゆきあつさん」
友人は笑っている。
「あたしの手を離してどうするんです。あんたにはあたししかいないのに」
「そうだけど、そうだけどよ―――」
往壓は子供のように首を振った。
「だけど俺はなんか忘れているような気がするんだよ」
「―――往壓さん」
また幻が現れた。白い道に男が一人立っている。往壓はその姿を見て息を飲んだ。男の顔には顔がなかったのだ。ただ真っ暗な穴が開いている。
「往壓さん、あたしは顔を盗まれた。だからあんたに顔を見せることができない。でもそっちへいっちやいけないよ」
「ゆきあつさん」
友人が往壓の肩に手をかけた。
「あんな化け物は無視するんだ。あんたはあたしと向こうへ行くんだ」
「いっちゃあいけない、往壓さん」
顔のない男が言った。
「あんたを心配するお友達の声が聞こえませんか」
往壓の耳にさっきの人間たちの声が聞こえてきた。
往壓さん 竜導のバカ 竜導さん 竜導 ユキアツ
「あんたには友達なんかいない」
往壓の友人が言った。
「このあたしの他には誰も」
「そうじゃない」
顔のない男が言った。
「あんたには今はたくさんのお友達がいますよ、あんたを心配してくれる友達が」
「あんたは言ったじゃないですか、ゆきあつさん」
友人が身をよじった。
「あんたはあたしがいればいいと。あたししかいらないと」
「人には人が必要なんだ」
顔のない男がきっぱりと言う。
「あんたを必要とし、あんたを思ってくれる人がいるうちは」
往壓は友人を見、それから顔のない男を見た。男の背後にぼんやりとさっきの騒々しい連中が見える。さらにその後ろに生意気そうな武士の誂えの子供や、顔に痣のあるおかっぴきや、ぼろを着たやせた親子や、武家の奥方らしき女が。そして多くの人々が。
「………俺は」
往壓は友人に力なく首を振った。
「お前の他には誰もいらないと思っていた。誰とも関わるつもりもなかった。でもそうじゃねえ………生きていれば人と関わらねえなんてこと、できやしないんだ………そして関わった人間みんなが今の俺を作るんだ」
みんながそっちにいってはダメだと呼んでいる。
「俺はまだあの人たちと一緒にいたいんだ」
友人は肩をさげ、ため息をついた。
「わかりましたよ、あんたがそんな風に言うならあたしはもうなんにも言えない………その男と一緒に帰んなさい」
「ああ、だがその前におめえ、俺のダチから持っていった顔を返しちゃくれねえか」
友人はその言葉にひょいと眉を上げた。
「ああ、そうか。そこまで思い出しちまったんですね。じゃあ仕方がないですね」
そういうと友人はまるで面を外すように自分の顔を外してしまった。そのあとは黒い穴が空いているだけだ。
往壓は顔を受け取ると、それを後ろにいた顔のない男に渡した。
「ほら、おめえのだ。二度と顔を失くすなんてドジな真似すんじゃねえよ」
「はは、これがほんとの面目ねえ」
「落とし話にしてる場合かよ」
顔のない男がその顔をつけると、そこには往壓の友人の雲七がいた。往壓は満足気に雲七を見、そして今まで一緒にいた友人を振り返った。
「おめえ、俺が寂しくないように迎えにきてくれたんだろ、すまなかったな」
「いいや………まあ、またしばらくしたら会えますよ」
その言葉に雲七が往壓の身体を背後から抱いた。
「悪いがそれは当分先に預けといてくださいよ」
「さあ、お帰んなさい」
友人だった顔のない男は手を差し出した。その手の上の火が往壓の中に吸い込まれる。それで往壓はこの火が自分の命の火だったことに気づいた。
(ああ、どうりで懐かしい感じがしたはずだ)
命が戻り、往壓は自分が白く光り始めたのを見た。手や胸が輝いている。背後の雲七も光っていた。
「雲七、雲七。帰るのかい?」
「はい、帰りますよ、あんたのいる世界に………」
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