どのくらいたったのか、酒に酔って少し眠ったらしい。ふと目を開けると雲七が若い娘たちと一緒に踊っていた。紬の尻をはしょって軽やかな足つきで。
(そうか、ここにいる連中には雲七が見えるから)
雲七の楽しそうな顔を見て、往壓は嬉しかったが同時に切なくなった。
雲七が人間であったころは、こうして女たちと酒を飲み、戯れたこともあった。賭場で金を稼ぐとすぐにその夜に使ってしまった。互いに何人の女と寝たか競ったこともあった。雲七が人間だった頃、あの頃は雲七にも友人たちがいたのだ。
(雲七には人間は触れることもできない。笑いかけてやることも、話すことも)
だがここでは。
この夢の中のような花の降りしきる宴の場では。
雲七は女たちと笑いながら踊っている。楽しんでいる。はしゃいでいる。
雲七は幸せそうだ。
雲七は。
雲七は。
「あっしは往壓さんといることが幸せなんです」
不意に耳元で声がした。
振り向くと今まで目の前で踊っていた雲七がそこにいた。優しい、哀しい、切ない瞳で往壓を見ていた。
「誰に笑いかけてもらえなくても、話しかけてもらえなくてもいいんだ。あんたがあっしを見て、笑って、話して、泣いて、怒って。あんたの感情のすべてがあっしに向けられている。だからそれでいいんです。他にはなにもいりやせん」
「だけど」
くるくると紅い花びらが周りをとりまいた。たくさんの花びら。花びらで周りが霞んでいる。まるでここだけ空気が薄紅に色づいているようだ。
「往壓さん、あんたが悲しんでいたんじゃあっしは少しも楽しくはない、幸せじゃない。あっしがあやかしたちと楽しそうにしている姿は辛いですか?」
往壓は首を振り、両手で顔を覆った。
「そうじゃない、そうじゃないんだ。お前が楽しんでいるのは見ていて俺も楽しい。だけど、どうしたって考えてしまうんだよ」
「ああ、往壓さん」
雲七はしゃがみこんでしまった往壓をそっと抱きしめた。
「あんたがあっしを思う気持ちがこんなにも強い。あんたがそうやって自分を責めれば責めるほど、あっしは申し訳ねえが目も眩むような心地よさに包まれる。あっしはあんたが笑ってて、楽しんでくれればと願っているのに、あんたの悲しみや苦しみを心地いいと感じてしまう。本当に本当に、申し訳ねえ」
「雲七」
「あんたが幸せならあっしも幸せなんだ。あんたの喜びがあっしの喜びなんだ。なのに、あんたの哀しみがあっしをくらくらさせる。往壓さん、往さん―――あっしはどうしたらいいでしょう」
「雲七、雲七」
往壓は薄紅の雲の中で雲七を抱きしめた。
「ずっと一緒にいてくれ。ずっと一緒だ。俺の幸せも不幸せも、喜びも悲しみも、ぜんぶお前にやる。俺はそのためにまだ生きているんだ」
「往壓さん―――」
雲七の指が往壓の頬をくすぐった。顔を上げると穏やかな笑顔があった。近づいてくるそれに往壓は目を閉じた。
「お熱いこと」
豊川の声に往壓が目をあけると、自分は相変わらず桜の下に座っていて、隣に豊川がいて、目の前では雲七が女たちと踊っている姿があった。
「………夢?」
「じゃないよ」
豊川がやれやれというような笑みを浮かべる。
「あんたの気持ちが沈みそうだったんで、雲のやつがあわてちまってね。あたしの力を使ってちょいとあんたの心の中にちょっかいを出したのさ」
往壓はその言葉に雲七を見た。視線に気づいた雲七は済まなさそうな笑顔でひょいと頭を下げる。
「あのやろう………」
「こんな席で余計なことを考える方が野暮ってもんだ」
豊川は物柔らかな調子でいさめてきた。
「………そうか、そうだな」
「あやかしはね、自分が楽しいことだけ考えていればいい。………なのにあいつはまずあんたのことを考える。あいつはあやかしにしてはできそこないだよ」
「でも優しい」
「優しいあやかしっているのかねえ」
豊川は唇で笑った。
「あんたも優しいよ」
「おやまあ、嬉しいこと」
往壓は酒の張った杯を手に取った。
「さっきのつるべ落としの話じゃねえが」
ひらりと桜の花びらが波紋をつくる。
「つるべ落としが落ちてくる一瞬のような俺の人生でも、俺は最後にはいい人生だったと言えるだろう。だって最後の瞬間まであいつと一緒なんだ。そいつはどれほど幸せなことだろう。なあ、豊川の。わかるかい? わかってくれるかい?」
往壓は、泣いているような笑っているような顔で言った、幸せそうな不幸せそうな声で言った。すがるように、祈るように、独り言のように、絶叫のように。
花の中であやかしたちが踊る。踊る。
それは夢のような、幻のような、誰かの願いのようなはかない光景で。
いつ果てるともしれぬ花の中で、宴は続き歌は流れる。
花は 花は 花は
まだ咲き続けている。