「つるべ落としって妖怪、聞いたことあるだろ?」
宰蔵が妙に真剣な顔で往壓に問いかけた。
「山の中とかで急に目の前にどすんって大きな顔が落ちてくるあれだ」
「そうだっけ」
「あれって、………なんで?」
「はあ?」
「なんでそんなことするんだ?」
「なんでって………人を驚かせるためだろ」
「だからなんで」
宰蔵は自分の言いたいことが伝わらないというようなもどかしげな顔をした。
「人を驚かせてそれで終わりなんて、なんでそんなことするんだ? 人を捕まえて喰うわけでも金銭を奪うわけでもない。ただ驚かすだけだ。それって何の意味があるんだ」
「意味、かよ」
「どんなものにだって、どんな行動にだって意味はあるはずだ」
「俺にそういわれたってなあ」
そんな話をしてしばらく後、往壓は雲七、豊川と一緒に花見を楽しんでいた。一重の桜は散ったが八重の山桜はまだ見ごろだと豊川が誘いにきたのだ。
いつものように豊川は山の中の稲荷に移動することで到着したが、空を飛ばなければならない雲七はぶつぶつ文句を言った。
だが、豊川の案内した先に着くと相好をくずした。
「こりゃあ見事なもんですね」
濃い紅色の八重の桜がたわわな花をつけたその場所には緋(ひ)毛氈(もうせん)が敷かれ、段かさねの肴や酒が並べられていた。着飾った女たちや幇間(ほうかん)もいて、にぎやかに歌ったり踊ったりしている。
「おいおい、泥団子に泥水じゃないだろうな」
「今日は特別ですよぉ」
豊川は横すわりで往壓に徳利と猪口を差し出した。思わず雲七の顔を見たが、雲七も笑ってうなずいている。それで往壓は安心して杯をあおった。
「そんじゃあ、ご返杯」
飲み干した赤い杯を豊川に返すと片手で受け取る。
「行儀が悪くてもかんにんしとくれよ。あんたたちがあたしの片腕を食べちゃったんだからね」
「生えねえのか? その腕は」
「あやかしだって万能ってわけじゃないんだよ」
豊川は先の丸くなった手首を出して見せ、それで往壓の胸をつついた。
「まああんたくらい強い精の男でも食えば別かもしれないけど」
「怖い怖い」
往壓は身を引いた。隣で雲七が我関せずというような顔で娘らの踊りを見ている。
紅色の花びらが舞い、美しい女たちが笑いさざめき、気持ちのよい音楽が流れ、往壓は夢でも見ているような気分になった。
(まあ、あやかしとこんなところで飲んでるってことでもう現実離れしてるがな)
酒もあやかしが用意したもののせいか、常よりうまい。
「そういや、おまえたちがちょっかい出してた宰蔵って覚えているだろ」
「ああ、あのやんちゃなお嬢ちゃん」
「あいつがおかしなことを言ってたぜ」
往壓はつるべ落としの話をしてみた。同じあやかしならつるべ落としの行動の理由がわかるだろうと思ったのだ。豊川はあきれた顔をした。
「つるべ落としが上からおっこちてきて人を驚かす理由? 理由なんているのかい」
「宰蔵が言うにはどんなことにも理由があるんだそうだ」
「理由ねえ」
豊川は美しい眉をひそめた。
「理由っていうならそれがつるべ落としだから、としか言いようがないけどねえ」
「驚かすことだけが目的だって?」
「そうだよ、それがそいつの生きる意味なんだ」
「生きる意味ねえ」
揶揄するような往壓の口調に、豊川は紅を挿した目元で睨んだ。
「なんだい? 人間だって同じだろ、飯食って糞ひりだすだけがヒトじゃないか」
「そうでもないぞ。仕事のあるものは仕事をする。学ぶものは学ぶ。子供が成長して大人になって家を持ち、家族をもち………複雑だぞ? 落ちて驚かすだけの生よりずっと」
「はん」
豊川は鼻先で笑う。
「それで最後には子供や孫に囲まれて、ああいい人生だったと?」
「そうだ」
「生まれてすぐ殺される子供は? よしんば育ったとしても、最後の最後で裏切られ、たった一人で年取って死ぬとしたら? 最後になんてくだらない人生だったと嘆かないやつはいないとでも?」
たたみかけられるように言われて往壓は鼻白み、酒をすすった。
「そりゃあ………いるかもしれないが」
「おんなじさ」
豊川は残っている片手にあごを乗せた。
「ヒトが生まれて死ぬまでの時間も、つるべ落としが上からおっこちてきてヒトを驚かすまでの時間も。ヒトを驚かすことができたつるべ落としがどんなに満足した瞬間を持ったかなんて誰にもわかんないだろ。あいつらの無上の喜びをつまんない行動だ、理由がないなんて言ってほしくないねえ」
「………ふむ」
往壓は腕を組んだ。豊川だから説得力もあるが、自分が同じ言い方をして宰蔵を納得させられるだろうか。他人から見れば駄目な人生を歩んできた年をとっただけの自分が。
「だめかもな」
呟いた往壓に豊川はくくく、と笑う。
「なにをあやかしと人生論を語っているんです」
雲七が呆れ顔で往壓に徳利を差し出した。
「いやいや、さすがに稲荷の大将だ。含蓄のあるお言葉だよ」
「やめとくれよ、大将なんて色気のない」
往壓は杯をきゅっと煽るとそれを豊川に回した。雲七がそれに酒を注ぐ。小さな杯はすぐにいっぱいになるかと思われたが、酒を注ぐたびに杯が大きくなっていった。
「お、お、お」
自分の顔より大きくなった杯を豊川は片手でぐいっと煽った。飲み干してしまうとあっというまに小さな杯に戻る。
「ふう」
白い頬をうっすらと染めて豊川が笑った。
「よ、姐さん」
「いい飲みっぷりだ」
往壓と雲七がやんやとはしゃぐ。宴は始まったばかりなのだ。