「往壓さん!」
大きな声がかけられた。振り向くと道の向こうから大柄な男が走ってくる。動物の毛皮を着て髪を馨に結いもせず、どこか粗野な印象の若い男だった。
「往壓さん、行ってはだめだ!」
大男はそういって手に持っていた槍のようなものをふりかざした。
「あぶない、ゆきあつさん」
友人は往壓の前に立ち、火を持っていない方の手で大きく振り払った。途端に大男の姿は消えてしまった。
「今のはなんだ?」
往壓は驚いて友人に聞いた。
「あれは妖夷ですよ、あんたに道を誤らせようとやってきたんだ」
「だが、俺はあの男をどこかで見た気がする」
「気のせいですよ、ゆきあつさん。あんたにはあたしの他に知り合いも友人もいない、そうでしょう?」
「………ああ、そうか。そうだな」
往壓は白い地面を見下ろした。俺には他に誰もいない。この友人の他に。
往壓はふと友人の足が濡れていることに気づいた。草履から水がにじみでている。
「おい、おめえ」
言いかけた時、また声がした。
「竜導! 竜導!」
甲高いその声は少女のようだったが、叫んでいるのは前髪の少年だった。
「竜導! ばか! そっちに行くな!」
往壓は驚いて少年を見つめた。大きな瞳のかわいらしい若衆だった。
「おい、ありやあ………」
往壓がそう言ったとき、友人が腕を伸ばして彼の動きを止めた。そしてさっきと同じように腕を振ると、その少年の姿も見えなくなった。
「今のは………今のも見たことがある」
「気のせいですよ、ゆきあつさん。気のせいです」
そういう友人の着物の水の染みが肩から胸に広がっている。往壓は眉をひそめた。
そのあともやたら声の低い美女や、生真面目な顔をした若侍、緑の目をした異国の少女らが現れ、往壓を暗い道に行かせまいとした。そのたびに友人は腕をふってその姿を消していった。
往壓は地面を見ていた。友人の足元には水溜りができていた。水溜りはどんどん広くなり、いまではもう往壓の足さえ濡らしている。
「おめえ、寒くないのか」
往壓はそっと言った。友人の姿はいまや全身ずぶぬれだった。
「寒くなんかありやしませんよ」
「だけどおめえ」
「さあ、はやく行きましょう。そして二人であったまりましょう」
友人は往壓の手をとった。その手はぞっとするほど冷たく、往壓は思わずそれを振り払っていた。
「どうしたんです、ゆきあつさん」