「とめきちって子、長屋にいるかい?」
長屋の中にはとめきちという名の大人はいなかった。往壓は長屋の井戸の周りで遊んでいる子供に聞いてみた。
「いるよ。おさだちゃんの弟」
「おさだちゃんってのは………」
「三吉さんとこの」
「ああ、左官の三さんか。それで今とめきちとおさだちゃんはどこにいるかしんねえかな?」
子供たちは顔を見合わせた。
「わかんない」
「じゃあ、お前らがよく遊んでる場所はどこか教えてくんねえか」
「おら、べっこうあめ食べたい」
「俺、だんご喰いたい」
往壓はため息をついた。
「わかった、今日の夜、買ってやるから」
はからずも願いを叶える側に回ってしまった。豊川が手にした願いもこんな願いだったらよかったのに。
べっこう飴と団子で聞き出した子供らの遊び場である神社へ向かうと、いきなり蝉の声が頭から降ってきた。まるで雨のように声が身体にあたる。見上げると高い杉の木の間から夏の日差しがまっすぐに落ちてくる。
子供らはそんな日差しの中で汗だくで遊んでいた。鬼ごっこでもしているらしい、必死の形相で走っている。
往壓は側を通り過ぎる子供の襟首を掴んだ。
「はなせよ、はなしとくれよ。鬼に捕まっちゃう」
「鬼とは俺が話をつけてやるよ、とめきちを探しているんだ、しらねえか」
「とめはおさだちゃんと一緒にいるよ」
子供は神社の方を気にしながら早口で言った。鬼が数を数えているらしい。
「で、二人はどこだ?」
「しんねえよ、隠れるんだもん」
「じゃあ、とめの着ている着物を教えてくれ。探すから」
「とめは腹がけしてるだけだな」
「え?」
「とめ公はまだ赤ン坊だもん、いつもおさだちゃんにおわれてるよ」
おさだは林の奥に駆け込むと、低い繁みの中にもぐりこんだ。ここなら鬼に見つからないだろう。だが、木の下を通ったとき、枝がおぶっていた弟をひっかいたのか、とめ吉がぐずぐずと泣き始めた。
「しいっ! とめ! みつかっちまうよ」
「あー、あー」
まだ言葉のわからない弟は、よだれをだらだらとおさだの着物にたらしながらうめく。
「しいっ、しずかに! もう、やんなっちゃう」
おさだは繁みから出ると背中の弟を揺すり上げた。6歳のおさだにはとめ吉の身体は重い。それでも父親も母親も働きにいっている間は自分が面倒をみなければならない。
「ほら、ねんねしな。おまえはいいね、こうやっておぶってもらってあやしてもらって、泣けばおねえちゃんがなんでもやってくれると思ってんだろ」
おさだは大人のようにため息をつくと背中の弟を揺すり上げた。
「とめなんかだいきらい、とめなんかだいきらい、おまえなんかしんじゃえばいいのに」
子守唄のようにおさだは呟く。とめ吉はきやっきやっとおさだの背中で笑い声をあげた。
「おねえちゃんはとめ吉がだいきらい、とめなんかしんじゃえ、しんじゃえ、しんじゃえ」
おさだは微笑みながら繰り返す。とめ吉がぐずらなくなったのでもう一度繁みに潜ろうとしたとき、その繁みの前に男の足があることに気づいた。
顔を上げると長屋で何度か見たことのある男が立っていた。名前は知らない。何をしているのかわからない男、昼間も家で寝ているかと思うと何日も戸を閉め切っている。ぼさぼさの髪に破れた着物。
「おさだととめ吉だな?」
男は怖い顔をしていた。太い眉の下の大きな目がきりきりとおさだを睨んでいる。おさだは背中のとめ吉にぎゅっと腕を回すとあとずさった。
「とめ吉は赤ん坊だ。赤ん坊のとめ吉に強い恨みを抱く人間なんかそういない。おさだ坊、お前、七夕の短冊に何を書いた? 何を願った?」
男が近づいてくる分だけおさだも下がる。七夕の短冊? あれは寺子屋でみんなと書いた。
「べべを願ったか? 飴を願ったか? それとももっと他の事を願ったか?」
あれはふざけただけだ。願いを書こうと恩ったら背中でとめ吉が泣いた。とめ吉はいつもいつも邪魔をする。いつもいつもあたしの背中であたしが楽しいことを邪魔するから。
「今、何を歌っていた?」
冗談だ、ふざけたんだ、本気じゃない。だってとめ吉だって笑ってる。言葉なんかわからないんだもの、ふざけてそう歌っただけ。
「短冊にこの願いを書いたのはお前か?」
男の手から赤い色紙が現れた。おさだは自分の書いた恐ろしい文字を見て悲鳴を上げた。
「堪忍してえええ」
おさだは逃げ出した。振り向かなくても男が追ってくることがわかった。両手を広げ、恐ろしい形相で。
あれは鬼だ。とめ吉を取りにきたのだ。短冊にあんなことを書いたから鬼がやってきたのだ。そうだ、たしかにそう書いた。でも本気じゃない、本気じゃないんだ。
「うそっ! 嘘だから! とめ吉はやらないから! とめ吉は、とめ吉はあたしの弟だから!」
「おさだちゃん、待て! 待てって!」
捕まった。おさだは男に抱きかかえられ、大きな声で泣き叫んだ。