雪輪が往壓をつれてきたのは潮のにおいのする海辺の町だった。闇の中に、潮風に押しつぶされたような低い小屋がいくつも立ち並んでいる。申し訳程度に砂浜に植えられた松も、すっかりねじくれて地を這っていた。
「こ、こんなところに乳の当てがあるっていうのか?」
「そうですねえ………運がよけりゃあ………」
潮風と潮騒の中に赤ん坊の声が響く。往壓は赤ん坊を懐に入れ、風に当たらないようにしながらあやした。左右は遠く広くつながる海岸線。目の前の海は黒く、時折月が波頭を白く光らせていた。
背後からさくさくと軽く砂を踏む音がした。
「おにいさん、どうしたんだい」
近くの漁師のおかみなのか、襤褸の寝巻きをまとった女が寒そうに袖を抱いて近寄ってきた。
「なんでこんな夜中に赤子を泣かせているんだい」
「いや、それがそのぉ………こいつ、腹が減っているみたいで」
「………ちょっとお貸し」
女は往壓の手から赤ん坊を奪うと、襟元を開けて張った乳房をあらわにした。乳首を含ませると赤ん坊はすぐに吸い付いた。
「助かった。あんた子供がいるのかい」
赤ん坊は必死な勢いで乳を飲む。女は吸い付かれる痛みに目を細め、赤ん坊を見つめていた。
「………いたけどね」
「死んだ、のか?」
「ああ」
女は暗く呟く。やがて赤ん坊は満足げに口を離し、ちいさなげっぷをした。
「なあ」
「なんだい?」
「モノは相談だが………この赤子をもらってくれる気はないか?」
「なんだって?」
「俺も頼まれてこの赤子の養い親を探しているんだ。あんたがもし子供をなくして寂しいなら」
「バカ言うんじゃないよ!」
女は怖い顔をした。
「あたしはもう―――子供を殺したくない」
「え」
「子供を養えないから間引いたんだ。だけど子供を死なせても乳はあふれて胸が張る。ソレが痛くて毎晩夜中に浜をぶらつくんだよあたしは………」
女は赤ん坊を往壓の胸に押し付けた。
「早く………さっさとここからどっかへ行って!」
女は胸元を直すと往壓に背を向けて走っていった。往壓の腕の中であかんぼうは小さくあくびをする。
「行きましょう、往壓さん」
雲七が雪輪の姿になる。金色の円盤の上に往壓は自分の身体を引き上げた。
「雲七、お前、知ってたのか?」
「いえ。あっしは最近死んだ子供の気配を辿っただけなんです」
「そうか………」
赤ん坊は往壓の胸の中で、着物を口に入れてよだれでべとべとにする。往壓は赤ん坊を抱きしめて黒い波を見つめた。浜に駆け寄ってくる白い波頭が小さな子供たちの足に見えた。