往壓は夜道を歩いていた。風のない、湿った暑い夜。じゃりじゃりと自分のぞうりが道を擦る音しかしない。
提灯の灯りは弱弱しく、足元1間も照らさない。
空には月もなく、ただ重い雲がみっしりと詰まっていた。
往壓は白く続いた土塀の切れ目まで来ると、先を確かめるように提灯を掲げた。
前の道はまた別な屋敷の練塀。右の道はまた白い土塀。左は暗い雑木林、そして後ろは………
ゆらりと提灯の中でろうそくの灯が揺れた。
背後からかすかな声がする。
子供のすすり泣きのようだ。
細く甲高い息を吸う音、しゃくりあげる喉。
往壓はゆっくりと振り向いた。
「やっと会えたな」
そこにはみすぼらしい、着物と呼ぶにはおこがましいほどのぼろをまとった子供が立っていた。細い足、細い腕、薄い胸、細い首。そしてその首の上に頭はない。
「二日ほど通ったんだぜ」
往壓は子供に近づいた。子供は首の中からひゅうひゅうと風の音を立てる。おびえているのか、じりじりと後ろへ下がった。
「ああ、心配しなくていい。お前を傷つけるような真似はしねえよ」
往壓がそう言うと、首なし子は立ち止まり、何か言いたげに身をよじった。
「俺はお前が人の首をとってるとは思わねえ。お前は見たところ刀も持ってねえしな」
子供はその通りと言うふうに両手を広げた。
往壓はちょっと笑って片手を伸ばした。
「お前の名前を聞かせてくれ」
子供は両手を自分の胸に当てた。
「そうだな、お前には首がないんだから話すこともできねえ。だけど俺にはお前の名前を知る術がある」
往壓の手が子供の胸に触れるか触れないかのところでとまった。ぼうっと光が往壓の手と子供の胸の間に発される。その光の中に文字が浮き上がった。
「………こりゃあ………」
往壓はその文字を見つめ唇を噛んだ。
「竜導、いったいなぜわれわれがこんな真似をしなければならないのだ」
小笠原がいつも刻んでいる眉間のしわを深くして言った。
彼らはある武家屋敷を見張ることのできる路地に潜んでいる。
「これ以上首なし死体を作りたくなけりゃ、おとなしく言うことをきいときな」
子供に言い聞かせるような口調に、小笠原はますます剣呑な顔つきになった。
「夜更かしは肌によくないんですがねえ」
小笠原が何か言おうとする前に、元閥があくびをしながら割って入った。すでに子の刻に近い。
「大丈夫だよ、そう遅くはなんねえ。この時間って聞いてるんだ」
「だれに」
「内緒だ」
往壓はいたずらっぽく笑った。元閥はやれやれと首をすくめる。
「だが理由もなくこんなところに連れてこられても」
小笠原が言い募ろうとしたとき、
「しっ」
アビが低い声で制した。通用門から武士が四人出てきた。この暑い夜に、四人とも頭巾をかぶり、顔を隠している。
「動いたな」
「あの侍をつけるのか?」
宰蔵が往壓を見上げる。
「そうだ。やつらが首なし死体を作ってるんだ」
「首なし子の仕業ではないと?」
宰蔵の囁きに往壓はうなずいた。
「これは妖夷なんかの仕業じゃない、ただの人殺しだ」